世界の名画 ~美の迷宮への旅~

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ストーリー

ニッポン洋画のあけぼの
セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」

番組名

フランス近代絵画の名品を多数収蔵する東京・京橋のブリヂストン美術館。コレクションの顔ともいえるのが、ポール・セザンヌの晩年の傑作「サント=ヴィクトワールとシャトー・ノワール」です。セザンヌの故郷の山の威容を、大胆なタッチで表現したこの作品は、新たな絵画を模索しつづけた画家の一つの到達点ともいえるものでした。
セザンヌは20世紀の絵画の発展に大きな役割を果たしましたが、実は洋画黎明期の日本の画家たちにも影響を与えているのです。
日本でセザンヌが知られるようになったのは、明治の終わりから大正にかけての頃。安井曾太郎はフランス留学中にセザンヌの絵を見て感化され、帰国後にその影響を受けた作品を発表して注目を集めました。文芸雑誌の『白樺』は、誌面で美術館設立のキャンペーンを展開し、セザンヌの作品数点を日本にもたらしました。それらは若い画家たちを刺激し、やがて日本独自の芸術を花開かせることになるのです。
セザンヌとともに日本の美術界で多くの信奉者を生んだのがルノワールでした。夭折の天才・中村彝(つね)は、結核と闘いながら、恋人をモデルに創作に励み、ルノワールの影響を受けた作品を数多く残しました。国の重要文化財に指定された彼の代表作「エロシェンコ氏の像」は、日本の近代美術史上屈指の肖像画の傑作といわれています。
裸婦像を得意としていたルノワールは、日本に新たなジャンルを定着させる上でも重要な役割を果たしました。女性の健康的な肌の輝きを色彩豊かに表現したその作品は、それまでの美の価値観を一変させ、日本人にヌードという芸術の魅力を伝えたのです。
セザンヌとルノワール。日本に近代絵画の夜明けをもたらした巨匠たちの作品はどのようにして伝えられ、画家たちにどんな影響を与えたのか。日本が急速に美の西洋化を遂げていった明治・大正期の知られざる美術史に光を当てます。