世界の名画 ~美の迷宮への旅~
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世紀末ミュンヘンの妖しい輝きシュトゥック「罪」
闇の中から浮かび上がる青白い裸体。不敵なまなざしをこちらへ向けるその女性の体には、大蛇が巻きついています。19世紀末、ドイツのミュンヘンで活躍した象徴主義の巨匠、フランツ・フォン・シュトゥックの代表作「罪」。原罪を負ったイブのイメージを借り、男性を破滅へと導く宿命の女、ファム・ファタールを描いたこの妖しげな作品は、世紀末のミュンヘンで大きなセンセーションを巻き起こしました。一躍時代の寵児へと上り詰めたシュトゥックは、「画壇のプリンス」として君臨し、宮殿のような豪邸で、貴族さながらの暮らしを送ります。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ミュンヘンはヨーロッパ有数の芸術の都として、未曾有の繁栄を謳歌しました。その礎を築いたのが、中世以来この地を治めてきたヴィッテルスバッハ家出身の国王ルートヴィヒ1世です。1825年に王位についた彼は学芸の振興に力を注ぎ、王家のコレクションを展示するアルテ・ピナコテーク、同時代の作品を収めるノイエ・ピナコテークという2つの美術館を創設しました。「罪」は後者のコレクションの目玉の一つとなっています。
ミュンヘンが芸術家たちの活気に沸いた19世紀末、この町を訪れた日本人の画家がいました。画家の名は原田直次郎。絵を学びながらミュンヘンで3年間を過ごした直次郎は、留学中の森鴎外と親交を結び、鴎外の初期の短編『うたかたの記』の主人公のモデルともなりました。象徴主義の影響を受けた代表作「騎龍観音」は、洋画黎明期の日本で賛否両論の大きな反響を呼ぶことになります。
世界中から集まった画家たちの異様な熱気に包まれた芸術の都ミュンヘン。シュトゥックが脚光を浴びた19世紀末とは、どんな時代だったのか。ノイエ・ピナコテークが収蔵する同時代の作品を鑑賞しながら、つかの間の輝きを放ったミュンヘンの賑わいぶりと、時代を彩った画家たちの群像を描きます。