世界の名画 ~素晴らしき美術紀行~

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ストーリー

美術史上最大のスキャンダル
ゴヤ「裸のマハ」の真実

世界の名画 ~素晴らしき美術紀行~

かつて西洋美術界を揺るがした、一枚の絵画がありました。ゴヤ作「裸のマハ」。
微笑みをたたえ横たわる裸婦の肌は、その質感までもが細やかな筆づかいにより表現されています。
しかしこの絵画は、後に大問題を引き起こすことになります。
その誕生に隠された謎に迫るため、今回はスペイン・マドリードから、南へはるか600キロ、アンダルシアの港町まで、情熱の画家ゴヤの足跡をたどる旅に出ます。
スペイン北東部アラゴン地方で生まれ育ったゴヤは、17歳の時画家としての活躍を夢見てマドリードへとやってきます。若き日のゴヤが働いていたレストランは300年経った今でも健在。2時間半かけて作られる名物メニューも紹介します。
その後イタリア留学を経て、宮廷画家となったゴヤ。柔らかなタッチで肖像画の名手として人気を集めます。しかし一方で、版画集「ロスカプリチョス」、そして肖像画の傑作と言われる「カルロス4世の家族」など、人間の内面を描いた革新的な作品を発表。「時代の証言者」との異名をとりました。
ナポレオン軍の侵攻を描いた「1808年5月3日 プリンシペ・ピオの丘での銃殺」は後にピカソにも影響を与えました。
そして69歳の時、「裸のマハ」を描いた罪によりゴヤは異端審問に召喚されます。当時タブーとされていた女神ではない現実の女性を描いた裸婦像。宮廷画家の地位どころか、命さえ失う危険を承知で描いたその絵は、ペピータ・トゥドーという人物がモデルと言われていますが、実は別人ではないかとの説があるのです。
それは、大西洋を望む港町で、ゴヤが一夏の恋に落ちた相手・アルバ公爵夫人。
そこにあった真実とは果たして?