世界の名画 ~素晴らしき美術紀行~
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世紀末パリ ミュシャの旅
はかなくも美しきアール・ヌーヴォー
今回の旅の主役となる作品は、アール・ヌーヴォーを代表する芸術家、アルフォンソ・ミュシャの傑作、『ジスモンダ』。
19世紀末、世界中で愛された大女優、サラ・ベルナールが主演した舞台「ジスモンダ」のポスターとして作られました。この作品がパリの街に貼り出されると、瞬く間に大きな評判を呼び、当時まだ無名の挿絵画家だったミュシャは、一夜にして、時代の寵児となるのです。
「ベル・エポック」。良き時代と呼ばれた当時のパリでは、エッフェル塔が完成し、パリ万博が開催され、演劇などの芸術、さらにはムーラン・ルージュに代表される大衆文化が繁栄しました。そんなパリには、世界中から芸術家が集い、パリは芸術の都となったのです。世紀末パリを彩った新しい芸術の一つが、アール・ヌーヴォー様式でした。曲線を主体とし、植物や花、昆虫などをモチーフとした様式は、宮殿や教会を飾る芸術ではなく、市民の生活に溶け込んだ美を追求しました。
アール・ヌーヴォー様式は、今もパリの街に、息づいています。
マンション建築に地下鉄の入り口、さらには街角の広告塔。そして、ミュシャが、内装からインテリアまですべてをデザインした、アール・ヌーヴォー様式の結晶とも言える「フーケ宝石店」。そこはステンドグラス、ブロンズのレリーフに装飾パネル。すべてがミュシャの理想とする美の世界で埋め尽くされていました。
デザイナーとして、パリで確固たる地位と名声を得たミュシャ。
しかし、彼はパリを終の棲家とすることはありませんでした。
50歳にして、パリを離れたミュシャは、祖国チェコへ帰り、若かりし頃からの夢であった、画家として生涯を全うします。祖国に捧げた「スラブ叙事詩」。
そこに秘められたミュシャの思いとは?
衝撃のデビューから晩年の大作に至る、ミュシャの人生に迫ります。