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ストーリー

地中海 6つの旅 ~大地の歴史をさぐる~
第3回 色と芸術

私たちの足元、大地の下で働いている地質学的な力に着目し、地中海沿岸の歴史や文化を見直し、謎を解き明かしていくシリーズの第三夜。今回は、色と芸術との関係を考える。
一見無関係に思える絵画と地質学だが、実は深い関係があった。ラスコー洞窟の壁画から印象画の絵画まで、美の追求の影には鉱物から顔料を開発する歴史の積み重ねがあったことが明らかにされていく。「絵画はさまざまな石の性質を閉じ込めた地質学的なカタログ」と語るイアンは、名画を別の角度から見る楽しみを教えてくれる。古代エジプトで作られた史上初の人口顔料"エジプト青"を実際に当時の方法で作り出したり、アラビアの錬金術師と同じ方法で辰砂から水銀を取り出してみたりといった実験も興味深い。顔料について説明する過程で、原子の構造といった難しい事柄も出てくるが、それをわかりやすく説明するのはイアン・スチュワートならではだ。風船を持った観光客に協力してもらい、ビッグバン後の原子の生成を楽しく紹介する。

地質学者のイアン・スチュアートが地中海の名所を旅しながら、大地の下で働く地質学的な力と芸術の関係を見ていく。現代社会はあらゆる色であふれているが、そこには岩から顔料を開発する長い試行錯誤の歴史があった。
フランスのラスコー洞窟にある1万5千年前の壁画には、赤や茶色、黒、白しか使われていない。黄土など手近な土をすりつぶして顔料にしていたためだ。
約5千年前の古代エジプトでは、鶏冠石やクジャク石など、色のある鉱石を砕いて顔料にするようになったため、黄色やオレンジ、緑も使われている。また初めて化学的に合成された顔料といえる"エジプト青"も生み出された。これに触発され、人工的に金を作り出そうとする試みが始まる。 8世紀にはアラビアの錬金術師が、硫化水銀である辰砂を分解し、化合し直せば金を作れると考える。結局金は作れなかったが、その過程で朱が生まれる。こうした実験で豊かになった顔料は地中海一帯に広まり、やがて16世紀に入り、ルネサンスが開花した。しかしこれらの顔料は、色褪せしやすい上に、有毒であるという欠点があった。
19世紀に入ると、産業革命に駆られて進歩した近代科学によって、万物を構成しているのは元素であることが発見される。また元素の周期表が作られたことによって、色を発する元素(遷移金属)も特定され、それらを合成して、安全で長持ちする顔料が作られるようになる。この新しい絵の具を使い、印象派の名画が生まれたのである。
現在では研究が進み、原子が3種類の素粒子(電子・陽子・中性子)で構成されることも分かっている。色が色として認識されるのには、光が7色の波長を持つことと関係している。遷移金属が色を発するのは、その電子が特定の色を吸収・反射するためである。