百年名家~築100年の家を訪ねる旅~
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埼玉・川口 ~“キューポラのある街”今昔物語~
今回の『百年名家』は、埼玉・川口。
吉永小百合の出世作、映画「キューポラのある街」で知られる埼玉県川口市は、県内で2番目に大きい街です。江戸時代には日光東照宮に将軍たちが社参する際の(日光御成道)宿場町として栄えました。中でも鋳物産業は荒川や芝川(荒川の支流)の砂や粘土が鋳型の材料に適していたことにより、最盛期には鋳物工場700軒近くもありました。しかし1960年以降は東京のベットタウン化が進み、鋳物工場はマンションやビルへと変わっていきました。八嶋さん、牧瀬さんの2人は、都市化が進む「キューポラのある街、川口」を巡ります。
まず2人は川口で一番古い町並みが残る、本一通り商店街にあるお店「福田屋洋品店」を訪れました。かつては日光御成道の川口宿があったところです。ここは昭和8年に建てられた、いわゆる「看板建築」で、店舗前面が垂直に立ち上がり、銅板やモルタル、タイル張りになっている店舗兼住宅です。店の銅板は長い月日を掛けて、美しい緑青色に変色しています。また天井はお寺や神社によく見られる井桁(いげた)状に組まれた格天井。店舗の天井としては珍しいものです。店内には建築当時の写真があり、かつての商店街の賑わいがわかります。
続いては川口の鋳物流通で財を成した「鍋平別邸」を訪れました。明治末期建築の和風建築で、昭和2年に 増築された国の登録有形文化財。商談のための迎賓施設として使用されていました。この建物を強く印象づける のは、昭和14年(1939年)に増設された寄棟造りの離れです。10畳の座敷の北面には豪華な書院、 黒檀(こくたん)など様々な材木を用いて作られた床の間。そして屋久杉を使った天井など、目を見張るような 意匠が至る所にあります。中でも一番の驚きはトイレ。ベネチアガラスがはめ込まれた内部や大理石、 モザイクタイルの貼り込まれた洗面所など、「和洋」が混在した他に類を見ない空間となっています。 庭園は昭和16年(1941年)頃に完成した池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)の日本庭園で、なんと 地下通路を通って行くことができます。様々な贅を尽くした造りに、驚きの連続でした。
やはり川口に来たからには、今も生き続ける鋳物文化を拝見。「日三鋳造所」は全国で1軒だけになったベー ゴマの鋳物工場。ベーゴマは昭和20年代から30年代後半にかけて、子供たちの遊びの定番でした。日三鋳造所には今ではほとんど姿を消した「こしき炉」といわれる小型の炉が残っています。鉄と燃料になるマキやコークスを交互に入れて、送風機で風を送りこんで鉄を溶かします。興味深いベーゴマ作りを拝見した八嶋さんと牧瀬さん、さっそくベーゴマ回しに挑戦しますが・・・
最後に2人は、かつて川口最大級の鋳物工場だった、「KAWAGUCHI ART FACTORY」を訪れました。ここは昭和 17年に建てられた工場で、戦前は軍需工場として零戦用のピストンリングなどを製造していましたが、終戦後にはその一部を買い取りました。現在の代表である金子さんは3代目。子供のころは、1500度にものぼる溶解炉の近くで遊んでは、怒られていたそうです。しかし昭和54年に工場は閉鎖に追い込まれ、貸工場として営業を余儀なくされました。ところが30年ほど前に、とあるアーティストがアトリエとして一部を借りたことがきっかけとなり、多くのアーティストも次々に工場を利用するようになります。現在では空きがないほどの人気アトリエになりました。また撮影スタジオとしても使われており、廃墟感を醸し出す撮影場所として人気を博しています。今や姿を消しつつある鋳物工場に、新たな命が芽吹いていました。
今回は、時代とともに減りゆく鋳物工場の街に、新たな歴史価値を見出した旅でした。