百年名家~築100年の家を訪ねる旅~
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埼玉・見沼たんぼ ~武蔵野の原風景を巡る旅~
今回の『百年名家』は、埼玉・見沼たんぼ。
「見沼たんぼ」はさいたま市と川口市にまたがり、南北14キロ、外周約44キロに及ぶ、大規模緑地空間です。江戸時代のはじめ周辺の水を溜めて、新田として開発されました。近年、市街化開発の波で、この貴重な田園風景も消滅の危機にありましたが、地元の人々の熱心な保存活動に市行政も協力して残されました。武蔵野の原風景が広がる町を八嶋さんと牧瀬さんが巡ります。
広大な水田地帯を歩くと、何やら舟の形にワラを積み上げた巨大なオブジェが現れました。これは「フナノ」と呼ばれる藁塚です。フナノは昭和30年代初め頃まで農家の庭などに作られ、積み上げられた藁は、煮炊きの燃料や畑の肥料、家畜の餌、かごや草履などいった生活用具の材料として使われていたといわれています。今ではすっかり姿を消していましたが、6年前に地元農民の方々が幼い頃の記憶を元に復元したそうです。見あげるほどのワラの大きさに驚きの2人でした。
続いて2人はこの一帯を新田として開拓した坂東家が代々住んでいたお宅を訪ねました。「旧坂東家住宅」の土間は建物全体の約半分を占め、「ウマヤ」、「オトコベヤ」、「ダイドコロ」等の部屋に仕切られています。間取りは「六間取り」という関東地方の名主住居の典型的な規模と格式を備えた家です。縁側に座り当時の風景に思いを馳せる2人でした。
坂東家による新田開拓によって一帯が干拓されたために、見沼には代用水路が造られ、それにともない「通船堀(つうせんぼり)」と呼ばれる運河が造られました。見沼通船掘は閘門(こうもん)式運河で1731年(享保16)に作られました。閘門式運河は、運河を結ぶ水位が異なる場合、水門を設けて水位を調整して船を通過させるものです。現在でも年に一度、閘門の開閉実演をやっています。通船堀の通船業務を司っていたのは鈴木家。現在でもその家屋が残されてご家族も住んでいます。通船掘りの歴史資料ともいえる貴重な家でした。
旅の最後に訪れたのは、広大な林の中に建つ一軒のレストラン。古民家風の建物ですが、実は平成になって建てられたもので、代々この地で農家を営んでいた女将が自宅の敷地に開いたレストランです。自宅の敷地にあった木を伐採し、17年寝かせてから建てました。自前で作った「柿渋」を木材に塗り、太い梁や柱を使い、"本物の古民家"を建てたのです。初めて訪れた人は、この建物が平成に建てられたものとは信じられないくらい、自然で歴史を感じさせる雰囲気に包まれます。女将は、この地で無農薬野菜を作ったり、自然とのふれあいを目的とした「グリーンツーリズム」も展開しています。そこで出される料理は地産地消の有機野菜を使ったオリジナル料理。いただいた2人は大絶賛。リピーターが多いというのもうなずける家でした。
今回は、日本の原風景で息づいてきた歴史と様々な生活様式を知った旅でした。