百年名家~築100年の家を訪ねる旅~
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栃木・日光~世界遺産の町 再発見~
新年初の『百年名家』は、栃木・日光。
風光明媚な山々に囲まれた日光。多くの文化遺産が生き続けているこの町は世界に誇る観光地です。「日光東照宮」をはじめ「中禅寺湖」「戦場ヶ原」などの観光スポットに加えて、周辺には鬼怒川・川治などの名湯も点在し、毎年国内外から多くの観光客が訪れます。1999年に「日光東照宮」や「日光二荒山(ふたらさん)神社」など103棟の建造物群と文化的景観が、「日光の社寺」として世界遺産に登録されました。八嶋さんと牧瀬さんはそんな観光地日光の中でも、普段あまり取り上げられる機会のない、知られざる日光を巡ります。
日光と言えば「金谷ホテル」。2人は、さっそくその原点とも言える「金谷カッテージイン(金谷侍屋敷)」を訪れます。この建物は明治6年、日光東照宮の楽師をしていた金谷善一郎の自宅として建てられたものです。やがて外国人の訪問客が増えたことから、自宅を改造して宿泊部屋を提供したことが、現在の「金谷ホテル」の発祥となりました。今回番組のために特別に拝見すると、そこは木造2階建ての武家屋敷で、質素な雰囲気は江戸期の遺構をそのまま残しています。刀を振りかざせないように天井を低く造るなど、武家屋敷ならではのカラクリが満載の家でした。
次に2人は「日光田母沢御用邸記念公園」を訪れました。「日光田母沢御用邸」は、明治32年嘉仁親王、後の大正天皇のご静養の為に造営されたものです。建築の床面積は1360坪。1棟の床面積では我が国最大の木造建築です。大正7年の増改築により江戸・明治・大正3つ時代の建物が並ぶという大変貴重な文化財となっています。まずは、一番古い江戸期の建物から拝見。御用邸の主家にあたるこの建物は、当時赤坂にあった紀州徳川家江戸中屋敷の中心部分を移築した3階建て。主に大正天皇が日常的な公務や寝室などに使用していました。2人はこの時期特別公開となる3階の「御展望室(ごてんぼうしつ)」を拝見、江戸期の歴史的3階建て建築を満喫します。 続いて2人が向かったのは明治期の建物。もともとは栃木出身の銀行家の別邸として建てられたものですが、のちに皇后宮として使われることになりました。竣工は明治20年代。関西の高級住宅で使われた栂材を使用し、随所に施されたきめ細かい意匠が際立ちます。 そして御用邸の最後に見せていただいたのは、大正期の建物。大正天皇即位後、御用邸で公式儀礼が増えたことから「謁見所(えっけんじょ)」として増築されたものです。外観は、菊御紋付きで御殿風の伝統的な造りで、部材には最高級の尾州桧(びしゅうひのき)が使われています。また重厚な格天井(ごうてんじょう)の下には、天井全体に浮遊感を醸し出すための「蟻壁(ありかべ)」が施されていました。
「日光田母沢御用邸記念公園」を後にした2人は、旅の途中で道幅が広くなっていることに気がつきました。じつは日光市は、より多くの人に日光の素晴らしさを知ってもらうために、平成20年から景観計画事業をスタート。メインストリートの国道119号沿いには、建物の高さ、意匠や色などに一定の基準を設けました。また、歩道は車椅子3台分が通れるように道幅を広げるなど、人にも優しい町づくりの事業が進められているのです。
そこで2人は、景観事業による助成・融資制度を受けた一軒、「そっと・ぼーちぇ」を訪れました。この店は大正時代の古民家を利用したハーブの専門店で、店主の大藤さんはこの家を、20年間物置代わりにしか使っていませんでした。ところがこの家が日光市の景観計画の対象となり、残すか壊すかの選択を迫られた結果、保存の道を選びました。そして家を解体せずに道路から8メートル程移動し、店をオープン。3年前には窓も開けなかった家ですが、換気することで「家は生き返る」と実感し、「家も楽しんでいる」と話す大藤さんでした。
旅の締めくくりは「JR日光駅」。この駅の歴史は古く、国鉄日光駅になったのは明治39年。乗客増加に伴い、大正元年に改築され今の姿となり、平成24年に築100年を迎えました。大きな特徴は、ホームに貴賓室が設けられていることで、大正天皇が電車でお越しになった際、お休みになられる場所として造られました。当時としては珍しい大きな電気ストーブなどに、天皇家ゆかりの駅としての面影が見てとれました。
今回は、日光の知られざる魅力を再発見した旅でした。