百年名家~築100年の家を訪ねる旅~

百年名家~築100年の家を訪ねる旅~

  • トップページ
  • バックナンバー
  • contents3
  • contents4

バックナンバー

大阪・岸和田~だんじり囃子が響く歴史町~

今回の『百年名家』は、大阪シリーズ第2弾、岸和田市を訪れます。

300年の歴史と伝統を誇る「だんじり祭り」で有名な大阪・岸和田。最近では世界的ファッションデザイナー3姉妹を生み出した町としても知られています。中でも紀州街道沿いの本町(ほんまち)には、今も古い商家がおよそ300mにわたり残されています。  そんな伝統を守り続ける町並みを、八嶋さん、本上さんの2人が旅します。

まず最初に訪れたのは、今や岸和田観光の目玉となっている「洋裁コシノ」。 世界的デザイナーであるコシノ3姉妹の母、綾子さんがミシンを使っていた二階奥の部屋と座敷は、昭和初期からそのまま保存されています。当時と同じように窓から表通り眺める2人。「だんじり」の迫力ある賑わいが間近で見られる景観が思い浮かぶ様でした。

続いて2人は紀州街道沿いの本町に向かいました。 この町は、かつての岸和田藩御用商家が多く、その最大の特徴は「錣葺き(しころぶき)」という屋根の形状にあります。「錣」とは兜の後方につけて垂らした覆いのこと。その形に似て、瓦屋根が二段になっていることから、この呼び名が付きました。 錣葺きは、江戸時代初期に定められた梁の長さに関する規定を、役人に証明するために考案された葺き方。
屋根と梁が接する部分の瓦に段をつけて、梁の長さが建物の外側からでもわかるように、このような形状になったといいます。 なかでも「阪口家」は岸和田の典型的な錣葺きの造りになっています。かつて酒店を営んでいた阪口家は、古い酒屋ならではの珍しい商売道具が残されています。立ち飲み用の槽や、生酒を殺菌するために使った巨大な釜など、興味深い品の宝庫でした。

 次に2人が向かった「山内家」は、本町で最も古い建物で、かつては薬問屋を商っていました。阪口家と同じように、屋根は錣葺きになっていますが、実は構造が全く違っており、山内家では通し柱で家を支えるため梁がありません。これは、19世紀初頭に京都の影響を受けて建てられたものだといいます。

 同じ錣葺きでも、全く違う構造があることに、新鮮な驚きを感じた2人は、続いて「だんじり(山車)」を見学。 岸和田の誇りである「だんじり」は、間近から見ると、驚くほど多くの彫り物があたり一面に施されています。これは大工と彫師たち職人の誇りであり、その見事な匠の技に、2人はしばし目を奪われる。

「だんじり」がよく似合う、本町の調和のとれた美しい街並み…この景観の陰には、地元の人々による「修景」というボランティア活動がありました。トタンの塀を杉板に変えたり、白壁に塗り替えたりして、統一感のある景観を作り出しました。また新たに家を建てる場合も、できる限り伝統的な町家の形にするように働きかけています。

最後に昭和初期に建てられたお宅「吉野家」を訪れました。吉野家はこれまで見てきた阪口家とも山内家とも違った佇まいを見せています。実は、吉野家の先々代が、当時の名のある宮大工に依頼して建てた家で、岸和田の建築史の流れの観点からみると、少し違った印象を受けます。

テレビ取材はおろか、地元の方たちにもほとんど公開したことがなかったという吉野家、ひとたび家の中に入ると、まさに驚きの連続。家に使われている梁、柱、板戸、差鴨居、大引き天井など、部材という部材のすべてが一枚板で作られているのです。一階の座敷には、土壁が一切なく、まさに神社仏閣のような家。まるで「だんじり」の技術に対抗するかのように、宮大工のプライドが見え隠れする家で、その緊張感の漂う雰囲気に2人も唖然としてしまう。

今回は「だんじり」が似合う美しい町並みを保つ岸和田と世界的デザイナーが、 美意識によって繋がっていることを感じた旅でした。