百年名家~築100年の家を訪ねる旅~

百年名家~築100年の家を訪ねる旅~

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大阪・泉南 ~紀州街道の歴史的旧家を訪ねる旅~

今回の『百年名家』は、大阪府の泉南地域を通る紀州街道沿いの旧家を訪れます。

紀州街道は、かつて大坂と和歌山を結んでいた街道で、古くは熊野参拝へ向かう道であり、徳川以降は徳川家紀州藩主の参勤交代の道でした。

紀州街道を和歌山から出発し大阪府に入ると、最初の宿場が「山中宿」です。この町の旧街道沿いには、本陣跡や旧庄屋屋敷などかつての風情が今も残されています。さっそく山中宿から旅を始めた二人は、ここで「入り母屋造り・妻入り」の泉南地域の伝統的な民家の特徴を学びます。

一日40キロも移動したといわれる大名行列。この山中宿は休憩の場所で、最初の宿泊地は「信達(しんだち)」と呼ばれる宿場町です。そこで八嶋さんと本上さんは信達宿を目指します。ところが昔の旅はそんなに甘くはない。紀州街道難所の一つ「琵琶ヶ岸懸」に出くわします。そこは急峻な崖地に細い道が一本あるだけのとんでもない場所。かつての熊野古道の面影と過酷な旅を想わせる史跡となっています。

「信達宿」へやって来た二人は、かつて紀州徳川家のお殿様が泊まった本陣「角谷(つのや)家」を訪れます。
江戸時代の大変立派な長屋門が残され、主屋は入母屋・妻入りの豪壮な屋敷。その正面には「式台」が設えられ、3間続きの座敷は歴史を物語る資料の宝庫となっています。
まず2人が式台を上がると江戸時代の駕籠を発見。これは当時角谷家が自家用に使っていた駕籠だと知り、2人は実際に駕籠に乗ってみることに。
次に見せていただいたのは、大名行列一行の宿泊場所が書かれた書類「宿割」。これによると、当時の大名行列は総勢1500人以上で、近隣の村の民家を約90軒揃えていた記録が残されており、大変な騒ぎだったことがわかります。
そして何と言っても「宿札」という木の札。高貴な人が宿泊中の場合、その名前を書いて角谷家の御成門に掲げたそうですが、その中には八代将軍「吉宗」の名前がありました。かの暴れん坊将軍が実際にこの家に泊まったことを想像すると、タイムスリップしたかのような錯覚に陥り、知られざる大名行列の真実を学ぶことができました。

続いて2人は紀州街道から少し入ったところにある新家(しんげ)に向かいます。訪れたのは築200年ほどになる「山田家住宅」。江戸時代初期から続く庄屋の家柄で、明治の初めに庄屋制度が廃止されるまで8代に渡って村を守ってきました。歴史景観に優れた貴重な国民的遺産として平成14年(2002)に登録有形文化財に指定されています。
山田家を訪ねて最初に驚くのは2つある門。最初の門は「表門」と呼ばれています。その表門をくぐると、さらに前方に30mにおよぶ長大な長屋門が隣接されています。
山田家の特徴は、玄関棟、主屋、そして台所棟と、目的別に三つの棟に分かれていることです。玄関棟の「式台」の隣には、付き人用の「小玄関」があります。小玄関には襖の「のぞき窓」が設えており、ここから年貢を納めに来た農民の様子をうかがうことができたといいます。
主屋に入ると、とてつもなく広い土間があり、ここでは年貢の米俵の計量や、庄屋が村方に心得を読み聞かせる場などとして使用していました。
台所棟には、井戸や炊事場、かつての道具類があり、カマド(へっついさん)の上部には煙出しがあり、時の生活ぶりに思いを馳せることができます。
ほかにも、すごろく板や江戸時代の和時計などの珍品も満載。驚きの尽きないお宅です。

今回は、紀州街道沿いの2つの名家を通して、生きた歴史に出会い、現在も住みながら旧家を守り続ける人々に出会えた旅でした。