百年名家~築100年の家を訪ねる旅~

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京都・上賀茂 知られざる「社家」を巡る旅

今回の『百年名家』は京都・上賀茂。
上賀茂神社は毎年5月15日に行われる「葵祭り」で有名です。そのおひざ元に広がる一角が、日本で唯一の『社家(しゃけ)』の町、上賀茂です。『社家(しゃけ)』とは、神職を世襲してきた家系の事で先祖代々神主を務めていた家がまとまった町として残っているのは、全国でもここだけです。上賀茂の社家町は明神川沿いに土塀を巡らせ、石橋を渡って門を入ります。明神川の水は各家々に引き込まれており、神官たちはその水で「みそぎ」を行っていました。神社の鳥居よりも高い建物は許されず、社家住宅はみな平屋か厨子二階。土塀越しには屋根しか見えませんが、本瓦の質感など堂々とした風格ある佇まいを見せています。
番組史上最も古い旧家の町並みを八嶋さんと本上さんが巡ります。

まず2人は世界文化遺産でもある上賀茂神社を訪れました。上賀茂の社家町の歴史は、上賀茂神社の成立抜きには語れません。もともと京都は、奈良時代以前から秦氏と賀茂氏という豪族が支配していました。賀茂氏の氏神を祀っていた神社が、現在の上賀茂神社です。当時から神社の祀り事に携わるのは、もっぱら賀茂氏の一族と決められていました。それが『社家』と呼ばれる家系を生み出したのです。賀茂氏の家系は、その後いくつかの姓を生み出し(賀茂16流)、その中で位の高い神職に就いた家が『賀茂七家(かもしちけ)』と呼ばれました。
明治維新以後は、神職の世襲制が廃止されましたので、社家のほとんどの方々は職を離れました。今も数名の方が神主をされていますが、上賀茂神社にお勤めの方はたった一人だけです。2人は社家出身の唯一の神主さんの案内で建物を拝見させていただきました。神社の楼門の屋根は檜の皮で葺いているもので、檜皮葺(ひわだぶき)といい、古い神社や仏閣に用いられています。現在は葺き替え工事中ですが、檜の皮は非常に手に入りにくいものなので大変高価です。展示されている檜には寄付をされた方の名前が書かれており、それを発見した2人は早速奉納することに。また、賀茂神社には賀茂県主同族会所有の「賀茂県主系図」が保管されています。一番古い系図は鎌倉時代に作られたもので(古系図1巻)、日本で二番目に古い系図だと言われています。何代にもわたる家系を目の当たりにした2人は歴史の重みを感じずにはいられませんでした。

次に2人が向かったのは賀茂七家の御家柄で唯一屋敷が現存している梅辻さんのお宅。現在の主屋の建築年代は不明ですが、建物は本来の社家住宅である居室部と、御所から250年ほど前に移されたという座敷部とに分かれています。座敷部は柱も天井も黒く塗った「黒書院造り」。火頭窓や床ざしの竿ぶち天井など、御所の学問所にあった書院らしく、格調の高さは息をのむほどです。一方居室部は、正面に公式の玄関である「式台」を備え、また内玄関には「鳥居型」が施されて、神職の住居ならではの設えになっています。ところが部屋は驚くほど狭く、武家屋敷や裕福な農家の造りに比べると、かなり質素な造りとなっています。社家住宅見学が楽しくなってきた2人。せっかくなので他の社家のお宅も拝見させていただくことにしました。

2人が歩いていると社家町では珍しい高い建物が見えてきました。ここは「井関家住宅」。明治以後神職の世襲制が停止したこともあり、先々代がそれまでタブーとされた高い住宅を作りました。急な螺旋階段を上るとそこは見事な絶景。大文字送りや上賀茂神社の御神体である神山が望めます。粋な贅を尽くした意匠を堪能した2人でした。

その後2人は、社家の典型的な庭を保存している「岩佐家住宅」にも立ち寄りました。明神川から引きこんだ水を庭池に流し、再び明神川に還していた用水のシステムが今も残されています。また、「しば漬け」「千枚漬け」と並んで京都の3大漬物のひとつ「すぐき漬け」は、かつて社家の家で作りだされていました。日本では珍しい乳酸発酵漬物のルーツは、社家の人々が生み出した「すぐきかぶら」という、上賀茂地区でしか採れない門外不出の京野菜です。

再び梅辻家に戻った2人は「すぐき漬け」をいただきつつ、この町の保存活動をしている方たちのお話を伺いました。上賀茂神社という日本でも格の高い神社の社家町であるという誇りと社家町という独特の町はここしかないという思いを知りました。

今回は古民家によって太古のつながりが感じられた旅でした。