百年名家~築100年の家を訪ねる旅~

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幕末の音が聴こえる街 ~和の長崎 丸山町~

今回の『百年名家』は長崎シリーズ第1弾!長崎丸山町。
丸山町は江戸時代に花街として、賑わいをみせていました。幕末の志士、坂本竜馬、高杉晋作や長崎にやってきた外国人シーボルトなど歴史上の多くの有名人がここで遊んだといわれています。華やかな色合いを残す丸山の町を八嶋さんと本上さんが「さるく」(長崎の方言で「散歩する」)旅です。

まず、最初に2人がたどり着いたのは花街の入り口、「思切り橋」跡。残念ながら今では残っていませんが、当時「思切り橋」と「思案橋」という二つの橋がありました。男たちは「思案橋」で行こうか戻ろうかと思案し、「思切り橋」で思い切って花街へと足を踏み入れたと言われています。 揺れ動く男心に共感せずにはいられない、という八嶋さんです。

すぐ近くには創業寛永元年(1624)三代将軍・家光の時代に二代武八の祖がポルトガル人の直伝を受け、南蛮菓子を学び、その製法を家伝継承し、カステラづくりを今日まで伝えたカステラの老舗「福砂屋」をちょいと拝見。築年代は明治初期。

2人が案内人とともにぶらぶらしていると、「史跡料亭 花月」が見えてきました。
花月(引田屋)は寛永19年(1642)に誕生。江戸から幕末、明治と長崎を舞台に活躍した幕末の志士達や国際人たちの社交場であり、昭和35年に長崎県の史跡に指定されています。

歴史の舞台となった料亭を後にした2人は、提灯の吊るされた古い日本家屋を目にします。ここは芸妓さんたちの手配を総括する「長崎検番」。築年数は明治12年頃、130年以上の由緒ある建物です。三味の音に誘われた八嶋さん。早速お姉さんたちの磨きがかかった芸を拝見します。

丸山町の坂の多い裏路地を抜けて次に2人が向かったのは、梅園天満宮。ここは丸山町の鎮守神で元禄13年(1700)に創建されました。別名身代わり天満宮といい当時の遊女や芸子衆などの心の支えとなっていた場所。第二次世界大戦中には、ここで祈願し出征した丸山町の住民は全て身無事帰還したといわれています。食べた梅干しの種が身代わりになってくれると伝えられている「梅塚」に、願を込めて種を入れる2人でした。

旅の最後に2人が訪れたのは老舗料亭・青柳。
江戸時代、当時料亭を営んでいた杉本家が幕末期、佐賀藩士だった大隈重信や長州藩士だった井上馨などが訪れて国家を論じ合ったりしていたといいます。その料亭を青柳の初代が昭和23年に購入し、料亭を再開しました。女将の案内で建物内を見学していると・・・
今回は遊びも食も歴史も残る、和の長埼・丸山町の旅でした。