うたの旅人

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初回放送:2011年7月26日「瀬戸の花嫁」


幼少の頃から母親によって徹底した歌手としての英才教育を受け、ピアノ・バレエ・習字・日舞などあらゆる稽古事に通い、見事、宝塚に4位で入学した小柳ルミ子。
宝塚卒業と同時に渡辺プロダクションへ。清純派アイドル歌手として「わたしの城下町」で華々しくデビュー。続く「瀬戸の花嫁」でその人気を決定的なものに。
当時、天地真理、南沙織とともに「三人娘」と呼ばれ、1970年代前半を代表するアイドルだった。

「瀬戸の花嫁」は、当分、お嫁に行けないルミちゃんのためにせめて歌でお嫁に行かせてあげたいと作詞家・山上路夫が作詞したのだった。
この歌を境に、小柳ルミ子は持ち前の歌唱力を活かし、正統派歌手として「冬の駅」「星の砂」「来夢来人」「お久しぶりね」などのヒット曲を連発し、アイドル路線を脱却。
大人の歌手、大人の女へと脱皮していく。

番組では、小柳ルミ子の幼少期における歌手としての英才教育をはじめ、デビュー曲「わたしの城下町」、そして、その人気を決定づけた「瀬戸の花嫁」までの軌跡を、美しい瀬戸内の風景とともにお届けする。

戦後の高度成長期、瀬戸内海は沿岸の埋め立てが進んだ。工場の排水によって空前の赤潮が発生した1972年。
そんな年に、島から島へお嫁に行くというこの歌が、何故生まれたのか?
今でも岡山・香川・愛媛のご当地ソングとして親しまれている「瀬戸の花嫁」 小柳ルミ子さん、また、当時の関係者へのインタビューを通じ、この歌が生まれた背景をさぐる。

今、再び美しさを蘇らせつつある瀬戸の海。
昔、島に嫁いできたおばあちゃんの話。また「星の砂」など、彼女の持ち歌の中から「海」に関する歌を瀬戸の情景とあわせて紹介。
時代の変化の中で失われていく情緒、懐かしい風景――
その失われゆく自然への惜別の想いが「瀬戸の花嫁」には、込められていたのかもしれない。

♪瀬戸は日暮れて 
夕波小波 
あなたの島へ
お嫁に行くの
小柳ルミ子が今、語る「瀬戸の花嫁」の真実とは?