2011年6月24日で23回忌を迎える、美空ひばり。
その原点を辿る旅がはじまります。
昭和24年。まだ日本が戦後の混乱期にある頃、ある歌が産声をあげた。
そのタイトルは「悲しき口笛」
♪ 丘のホテルの 赤い灯も
胸のあかりも 消えるころ
みなと小雨が 降るように
ふしも悲しい 口笛が
恋の街角 露路の細道
ながれ行く
この大人びた歌詞を歌ったのが、当時12歳だった美空ひばり。
同名映画の主題歌であるこの歌は、戦後初の大ヒット曲となり、多くの人の記憶に留められることとなった。
女王美空ひばりのスターダムへの道のりは、まさにこの歌から始まったのである。
またひばりは同名映画でも主演を務め一世を風靡することとなる。
映画「悲しき口笛」は、横浜を舞台に戦争で離ればなれとなった兄妹が、歌をきっかけに再会を果たすストーリー。
初主演映画の主役を堂々と務め上げたひばりの勇姿は、戦争で打ちひしがれていた当時の日本人に希望を与えたのである。
この映画は、美空ひばりをスターにするために、原作小説、映画、そして主題歌と、言わばメディアミックスが行われた。
撮影中、ひばりは初めて挑戦する演技に果敢に挑戦し、見事に演じきった。
ひばりは、撮影現場では一切台本を開かなかったという。
台詞はすべて現場に来る前に頭に入っていたのだ。
役者としても天才だった美空ひばりの片鱗が伺える。
また歌のレコーディング時には、こんなエピソードが。
まだ恋を知らぬ12歳のひばりは、「悲しき口笛」をどのように歌っていいか分からなかったのだ。
そこで一番好きな人を思って歌いなさい、というアドバイスに従い、ひばりが思い描いたのは、愛する母だった。
そう「悲しき口笛」のレコーディングに至るまで、ひばりを支え、デビューのきっかけを作ったのは、母・喜美枝だった。
父親や周囲の反対を押し切り、ひばりの才能を信じて努力を重ねてきた母。
そんな母を愛し、子供ながらも大人の世界に足を踏み入れたひばり。
この後も、ひばりは愛する母と二人三脚で、歌の道を歩んでいくこととなる。
これまで「川の流れのように」「愛燦燦」「柔」と、美空ひばりのヒット曲を紹してきた「うたの旅人」が、いよいよ美空ひばりのルーツに迫る。
「天才少女」から「女王」へ・・・・・・。
美空ひばりの原点ともいえる「悲しき口笛」誕生にまつわるエピソードを公開する。
そして、その陰にあるひばりと母の物語にも光を照らす。
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