歌の冒頭の「あーん」というため息とも吐息ともつかぬ囁きが多くの人々の心を魅了し、100万枚という大ヒットを記録した「伊勢佐木町ブルース」。
美声しか受け入れられないと言われた当時の歌謡界において青江のハスキーボイスは衝撃を与えた。昭和の歌謡史に名を残した彼女の活躍の陰には一人の男性の存在があった。
熱海の海を見下ろす高台の一軒家。
そこには、青江三奈と最期の時を過ごした夫・花礼二さんが一人住む。
玄関から居間・廊下と青江三奈の写真や遺品に囲まれ暮らす花さん。
花礼二さんこそ歌手「青江三奈」をこの世に誕生させた人。
百貨店の美容部員として働いていた青江と知り合った花さんは、特徴的なハスキーボイスとリズム感に惚れ込み、徹底指導。「普通の女の子」だった青江は花さんの手によって銀座の「銀巴里」でデビュー、「人気クラブ歌手」として花開く。
その後、芸能界に身を置く事を家族に反対された青江が家を飛び出して以来、2人は一緒に暮らす事に。
ステージの派手ないでたちとは裏腹のさばさばした性格だった青江。
青江は花さんを「デン」と、花さんは青江を「BOO」と呼び合い、青江の歌手生活の傍らにはいつも花さんの姿があった。
二人三脚で順風満帆に見えた2人だったが、出会いから20年後、別々の道を歩むことに・・・。
そして19年後、2人を再び結びつけたもの、それは・・・青江を襲った病魔だった。
膵臓ガンと診断された青江は、最期の時間を花さんと過ごす事を決意し、入籍。
それは死の二ヶ月前の事だった。
官能的とも妖艶とも称された青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」・・・・
青江の歌声に隠された素顔とは・・・?
当時を知る作曲家・鈴木庸一氏、ジェームス三木氏などのインタビューと合わせて、その素顔に迫ります。
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