芥川賞作家新井満さんが、アメリカ合衆国発祥とされる詩、通称『Do not stand at my grave and weep 』に日本語で訳詩をつけ作曲した「千の風になって」の物語。
今回はこの曲の生まれたいきさつを訪ねる旅である。
北海道七飯町大沼。大沼国定公園「千の風になって」誕生の地である。新井さんは友人のつてで、ここに別荘を購入した。17年前のことである。2000年の夏、新井さんはここで、作者不詳の英語の詩に曲をつけようとしていた。しかし、たった12行の中学生でもわかる英語の詩の訳詩に悪戦苦闘していたのだ。
困り果てて、最後に試みた詩の大声での朗読。読み終えた瞬間、森の奥からザーッと風が吹いてきたという。このとき新井さんは“森を渡る風の姿を見た”という。
原詩では[winds]は1か所だが新井さんの訳では「風」という言葉が6か所も登場する。
訳詩ができると作曲には5分とかからなかったという。
この詩を歌にしようと思い立って3年がたっていた。
「千の風になって」というタイトルの追悼文集がある。発行は1997年7月4日。
新井さんの古くからの友人、川上耕さんの亡き妻桂子さんの追悼文集である。この中の追悼文に「あとに残された人へ、1000の風」(南風椎 訳)という詩が引用されていた。新井さんは、自宅に届いたこの追悼文集の詩を歌にすることができたら、友人の悲しみを少しでも和らげることができるのでは・・・思ったという。しかしその時はできず諦めていた。
この曲が初めて聴衆の前で披露されたのは、新井さんの故郷、新潟であった。
2001年7月7日。追悼文集発行から4年。桂子さんの「5周年を偲んで歌う会」の集いの席だった。場所は新潟市中央区、営所通にある喫茶店「器」。昔ながらの広い造りでグランドピアノがある。新井さんが出来上がった曲をMDに吹き込み、川上さんに送っていたのだ。単純な和音の伴奏をバックに語りかけるように歌う。素朴な「千の風になって」である。
その後、「千の風」は、100人以上がカバー曲をだしている。
「千の風になって」という歌が、なぜ北海道の静かな大自然のなかで生まれ、人を慰める場で唄われるのか。新井さんはこの原詩のなかに人から人へ伝承される不思議な引力をみたという。うたと自然のかかわりを探して、新緑の北海道、新潟を旅する。
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