建物遺産~重要文化財を訪ねて~
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旧済生館本館(山形市郷土館)
山形県の初代県令・三島通庸(みしまみちつね 薩摩藩士)の「山形の近代化を図る」という構想のもと、山形県立病院として建築された。「済生館」の名は、当時の太政大臣・三条実美(さねとみ)の命名。東北地方でも最も早く西洋医学を取り入れた診療を行い、医学校も併設された。建物は、当時横浜にあったイギリス海軍病院を参考にしたと言われており、中庭を囲んで病室を円形に配置し、正面の三層構造の塔屋を配した。塔屋1階は変形8角形、2階は正16角形、3階は正8角形、「三層桜」と呼ばれた。設計は筒井明俊。鹿児島出身の原口祐之を大工棟梁とし、山形の宮大工300人を集め、わずか7カ月で完成させた。擬洋風建築では規模が大きく、意匠が特異。現在は「山形市郷土館」として当時の姿を伝える歴史資料館となっている。(公開:年末年始休 無料)