泉谷しげる (3月5日(水)・19日(水)放送)
ミュージシャンとして、また今やドラマに欠かせない俳優としても活躍する泉谷しげるさんが登場。
今年、還暦を迎える泉谷さん。
本人曰く、「歳をとると丸くなるというのはウソ」で、腹が立つことが増える一方なのだとか。「丸くなるというのは、気力がなくなっているだけ!」と泉谷節を炸裂させて、60歳になっても、まだまだ丸くならないことを世間に見せつけたいと語ります。
そんな泉谷さんは、今年を「音楽イヤー」と位置づけ、精力的に音楽活動を行なうと宣言。
それもライブハウスなどではなく、日本中のいろんな地方を舞台に、町の中で音楽活動を行なおうと考えていることを明かしてくれました。通行人も車も行き交う中、静寂とは程遠い生活音が響く中での前代未聞のライブ。
一体それはどんなものになるのでしょうか?
その真意は、「自分の歌の景色と現実が合うのかどうかを試す」ことにありました。
客のためでもなく、テレビのためでもなく、すべてそれは自分の音楽を追究するための試みなのだそうです。ミュージシャン・泉谷しげるにとって、自分がギターを持つ時は刀を抜くのと同じで、まさに真剣勝負。音楽を通じて表現するということは、戦いそのものなのだと語ります。
そんな泉谷さんが、スウィングする曲・すうぃんぐnumber1に選んだのは、『Satisfaction/ローリング・ストーンズ』。フレーズ、歌い方etcすべてにおいてショックを受けたというこの曲で、ロックに目覚めたのだそうです。
それは、スウィングするというよりも、「燃える」曲。
常に「今」をパワフルに生きる泉谷さんは、決して「昔は良かった」とは言いません。
なぜなら、この仕事は、「今という時代がいいんだ!」と勇気や自信を人々に与えることに意味があると考えているから。これからも時代の応援歌を歌っていきたいと抱負を語ってくれました。
過激な言動がゆえ、「怖い人」のイメージが強い泉谷さん。
しかし、その内面は「気遣いの人」。
優しさあふれる、一流の「気遣い術」の数々も披露してくれました。
さらに、団塊世代へ向けて、同世代の泉谷さんから、強烈なメッセージ!
そこには、時代を強気に駆け抜けてきた泉谷さんの思いの丈がこめられていました。
そのメッセージとは果たして?
さて、そんな泉谷さんがスウィングする時は、ちょっと意外な、「奥さんと子供たちがすやすやと眠っている姿を見る瞬間」なのだとか。自分が家族を養えていると実感できて、なんとも言えない喜びを感じるのだと言います。さらに、同居する2人のお孫さんの話になると、コワモテの泉谷さんが、みるみるうちに破顔!
テレビ初公開?!「しげるおじいちゃん」の微笑ましいエピソードの数々は必見です。
そして、小林香織がゲストに対し贈る今宵の一曲は、そんな泉谷さんの家庭的な一面に注目して演奏したオリジナル曲「ロングウェイホーム」。
その心温まるジャズバラードにも是非ご期待ください!
人間・泉谷しげるの魅力が詰まったスペシャルな30分。
どうぞご期待ください!
【経歴】 | |
1948年生まれ | 青森県出身 東京都育ち |
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1971年(23歳) | アルバム「泉谷しげる登場」で歌手デビュー。 |
1973年(25歳) | 「春夏秋冬」がヒット。 |
1975年(27歳) | フォーライフレコードを設立。 |
1978年(30歳) | フォーライフレコードから脱退。 |
1979年(31歳) | ドラマ「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」に出演。 |
1980年(32歳) | 映画「ええじゃないか」に出演。 |
1983年(35歳) | ドラマ「金曜日の妻たちへ」(TBS)に出演。 |
1988年(40歳) | 「吠えるバラッド」をリリース。 |
1993年(45歳) | ドラマ「谷口六三商店」に出演。奥尻島災害救済ライブを行う。 |
1994年(46歳) | 普賢岳災害救済コンサートを2回開催。 |
1995年(47歳) | 阪神大震災の被災地で救済活動。 |
2001年(53歳) | ノンフィクション本「とぎすまされた六感」を上梓。 |
2002年(54歳) | “忌野(清志郎)・泉谷(しげる)・スパイスマーケット”を新人バンドとして結成し、本格的にステージデビュー。 |
2003年(55歳) | ドラマ『Dr.コトー診療所』に出演。 |
2004年(56歳) | ガガガSPのコザック前田と『生活/永遠のウソつき』を発表。 映画『ドラえもん、のび太のワンニャン時空伝』に声優として初挑戦。 北海道テレビ制作ドキュメント番組『青いツバメ』に出演。 映画『GODZILLA-FINAL WARS』(北村龍平監督)に出演。 |
2005年(57歳) | 日本テレビシナリオ登竜門『目の鱗、ぽろり』に主演。 ドラマ『エンジン』に出演。ドラマ『女王の教室』に出演。 |
2006年(58歳) | ドラマ「Dr.コトー診療所2006」に出演 |
泉谷しげるのすうぃんぐな一曲 (3月5日(水)・19日(水)放送)
「Satisfaction/ローリング・ストーンズ」
フレーズ、歌い方etcすべてにおいて、ショックを受け、 ロックに目覚めた曲。
Swingするというより、「燃える」曲。
エンディング曲
エンディングでは、今宵のゲストのイメージを、小林香織がある曲で奏でます。
「ロングウェイホーム」
演奏:小林香織&すうぃんぐバンド
白井貴子 (初回放送:2008年3月26日(水)・2008年8月16日(土)放送)
「原宿KDDIデザイニングスタジオ」にて
公開収録を行なった今回のすうぃんぐ。
ゲストにロックの女王・白井貴子さんを迎え、
そのライフスタイルに迫ります。
さらに、白井さんのスペシャルライブも!!お楽しみに。
白井さんの現在のライフスタイルはエコロジック。
趣味のビーチコーミングをはじめ、たばこのフィルター10万本を他のメンバーと一緒に拾いオブジェにしたり、シャンプーの瓶や流木をかわいくデザインし直し、別の用途にリサイクルしたりとECO活動を楽しみながら、実践しています。
そんな白井さんがECOに目覚めたのは、ロック歌手として第一線を突っ走っていた当時、レコーディングでロンドンを訪れた時のこと。
その頃の白井さんはライブとレコーディングの毎日で休みも無く、仕事でボロボロになるくらい追い詰められた日々を送っていたといいます。
そんな矢先に訪れたのが、ロンドン郊外の牧場。
ふと下を見ると、足元に一輪のマーガレットが力強く咲いていたといいます。
「何でこんなにボロボロになるまで仕事をしているんだろう?」
白井さんはその時、これまでの生き方にふと疑問を抱いたのだそうです。
心身ともに疲れ切っていたロックの女王を勇気づけてくれた野生のマーガレット。
白井さんは、もしあれがなければ…今でも、「もっとヒット曲を!もっと大量生産を!」という生き方を続けていたかも知れないと語ります。
白井さんのライフスタイルを根本から変えることになった一輪のマーガレット。
次第に『大地の力を大切にしたい』という思いを強めていった白井さんは、それからECO活動に取り組むようになりました。
そして、昨年、神奈川県より「神奈川環境大臣」に任命された白井さんは、今や「エコの女王」です。
最近、白井さんが切に感じているのは、幼少の頃、散歩したり夕焼けを見たりして遊んだという「七里ヶ浜」の変化。
数十年前と比べ、砂浜がめっきり少なくなり、当時の半分になっているというのです。
その主な原因として考えられているのは、地球温暖化による海水面の上昇と周辺の環境が変わったことによる砂の流出…
最近、その光景を見るたびに心に引っかかるものがあると嘆きます。
そんな白井さんは、最近なんと森を購入したのだとか。
その森を、「マーガレット・グランド」と名付け、キャンプをしたり、夜空の星を眺めたり、更には曲作りも行なっているのだそうです。
本人曰く「この森があるから、どんなに体が疲れていてもがんばれる…」
さらに現在では、エコバッグ製作に続き、白井さんが自らデザインした、リサイクル陶器のマグカップ、皿等の製作も開始。
これは、国内各地から回収した使用済み食器を20%原料に使用した、地球にやさしい食器。
そのユニークな試みは、業界から注目を浴びています。
次々と「ひらめき」を形にしていく白井さん。
今後の夢は、ソーラートラックを使ってのライブ活動。
日本全国の田んぼや山の中で、ライブを行なってみたいのだとか。
エコの女王の今後の活動から、ますます目が離せません。
そして、特別ライブも大盛況!
白井貴子&THE CRAZY BOYSによる
アコースティックライブでは、「CHANCE」「Time Limit」を披露。
是非お見逃しなく!!
【経歴】 | |
1959年生まれ | 神奈川県出身 |
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81年 | フェリス女学院大学教育音楽部ピアノ科卒業 CBSソニーから歌手デビュー |
84年 | シングル「CHANCE!」がヒット。 学園祭ピーク時には1カ月に23ステージ、年間100本を超える ステージをこなし、女性ポップロックシンガーの 先駆者的存在となる。 |
88年 | 充電のため、ロンドンに移住 |
90年 | 帰国、以後TVやCMでも活躍 |
96年 | 3年間、NHK総合「昼どき日本列島」でレギュラー出演 |
97年 | 自主レーベルRODよりアルバム「LIVING」発売 |
01年 | 21世紀の神奈川県の合唱曲を作曲。 |
08年 | 80年代伝説のバンド[TAKAKO SHIRAI & THE CRAZY BOYS] 復活第一弾としてアルバム「地球-HOSHI-」を発表。 |
山下久美子 (4月5日(土)・4月19日(土)放送)
前回に続き、今回も「原宿KDDIデザイニングスタジオ」にて公開収録を行なった「小堺一機のすうぃんぐ人生」。
今回は、ゲストに「総立ちの久美子」として名をはせた、ロックシンガー
山下久美子さんを招き、ライブとインタビューの2本立てで豪華にお送りします。
1980年にデビューした山下さんは、当時、給料が15万円なのにどうしても住みたかった17万円のマンションに入居。
小堺さんが、「2万円の赤字はどうしたの?」とつっこむと、「シックスセンスでなんとかなる」と思ったと・・・。
結果、曲のヒットで給料もほどなくUPし、山下さんのシックスセンスは大当たりだったのだとか。
そんな、デビュー秘話も満載でお送りします。
2000年に、双子の女の子のママになった山下さん。
現在は、2児のママとロック歌手の2足のワラジで奮闘中です。
しかし、出産直後は「仕事に復帰できないのでは・・・」と不安になったほど、子育てが楽しく、約1年ぐらいは自宅に引きこもりぎみだったと言います。
そんな子供たちも今年からは小学2年生。
山下さんは、毎日小学校に送り迎えし、学校の行事にも積極的に参加しているのだとか。
先日は、交通安全の指導で生まれて初めて交差点で旗を持って児童たちの通学を見守ったと嬉しそうに語ってくれました。
そんな山下さんの子育ての方針は「自由奔放に育てる」こと。
特に稽古事や習い事はまださせず、歌も、今のところ教えるつもりはないのだそうです。
ところが、今子供たちが熱中しているのは、昔のアイドル歌手のものまね。
実は山下さんの唄もレパートリーのひとつ!? になっているのだとか。
そして今回の番組の目玉企画が、
山下久美子 米澤誠一朗 高橋まこと 磯江俊道による「スペシャルライブ」。
大ヒット曲「赤道小町ドキッ」をはじめ数曲を披露してもらいました。
是非お見逃しなく!!
【経歴】 | |
1959年生まれ | 大分県出身 |
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80年 | シングル「バスルームから愛をこめて」で歌手デビュー。 |
82年 | シングル「赤道小町ドキッ」がヒット。 |
92年 | ドラマ「わがままな女たち」に出演。 |
00年 | 双子の女の子を出産。 |
02年 | 初の手記「ある愛の詩」を出版。 |
05年 | デビュー25周年を迎え、全楽曲アルバム「Duets」をリリース。 |
07年 | 一里野音楽祭で歌声を披露。 |
※主な出演:ドラマ「その気になるまで」 | |
児玉清 (4月26日(土)・5月10日(土)放送)
ゲストに俳優・児玉清さんを迎え、
そのお仕事ぶり[ON]と余暇[OFF]のスタイルに迫ります。
大好きなドイツ人作家・ツヴァイクの本を原文で読みたくて、
学習院大学の独文学学科に進んだほどの文学青年だった児玉さん。
役者の道に進んだきっかけは、学生時代、一年先輩だった篠沢秀夫さん(現学習院大学名誉教授)に誘われ、主役として舞台に上がったこと。
専攻ではないフランス語劇だったにもかかわらず、見事に演じきり、高い評価を得ました。
俳優生活50年。そのキャリアのスタートとなったのは、「東宝映画第13期ニューフェイス」に採用されたこと。
しかし、その面接では30分遅刻した上、朝に急に思い立って試験を受けたため、水着持参であることも知らず水着オーディションで下着のパンツ一枚で参加。
さらに、O脚であることを指摘され、「O脚とは、忘れ去ることなり」と切り返したのだとか。
番組では、そんな驚きのエピソードが続々!
児玉さんの意外な人柄が明かされます。
温和なイメージがある児玉さんですが、本人曰く、実は「負けず嫌いで喧嘩も厭わない」性格なのだとか。
その最も象徴的な出来事が、世界の黒澤明監督とのマル秘エピソード。
当時、「無音よりも静かな現場」と言われていた黒澤監督の現場は、
緊張が張り詰めた場所。
日々監督から怒鳴られていた児玉さんは、どうしても納得がいかず、
なんと「監督を殴ってやろう」と計画したのだそうです。
果たして、その結末とは?
児玉さんを一流の俳優へと押し上げたのは、まさにご本人の勝気な性格。
当初は長く続ける気はなかった仕事でしたが、駆け出しの時に「雑魚扱い」をされていたのが悔しくて努力した結果、今があるのだと語ってくれました。
この仕事は、数字が出るわけでもないし、周囲からの評価もあいまい。
だから自分を見つめ、自分に真剣に向き合うしかない世界なのだそうです。
それが若い頃は辛かったけれど、今はそれが素晴らしいことだと思えて、
楽しくてしょうがないのだそうです。
【経歴】 | |
1934年生まれ | 東京都出身 |
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58年 | 学習院大学文学部独文学科卒業、東宝映画13期ニューフェイスとして専属契約。 |
60年 | 映画「別れて生きるときも 黒い画集・ある遭難」でデビュー |
64年 | 元女優の好子夫人と結婚。 |
65年 | 長女誕生。 |
67年 | フリーとなる。 |
69年 | 長男誕生。 |
72年 | 日本放送作家協会賞、男性演技者賞を受賞。 |
74年 | よりクイズ番組「アタック25」の司会を務める。 |
01年 | ドラマ「HERO」に出演。 |
07年 | 映画「HERO」、ドラマ「ドリーム☆アゲイン」に出演。 |
08年 | ドラマ「鹿男あをによし」出演。 |
※そのほかの主な出演に映画「戦場に流れる歌」がある。 ※著書に「寝ても覚めても本の虫」、「たったひとつの贈りもの-わたしの切り絵のつくりかた」、「負けるのは美しく」がある。 |
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エンディング曲
エンディングでは、今宵のゲストのイメージを、小林香織がある曲で奏でます。
オリジナル曲「Chillin’ in Manhattan」
演奏:小林香織&すうぃんぐバンド