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2016年12月18日
熱中ゲスト
女優 山本富士子さん <前編>
ゲストは女優の山本富士子さん。1950年、初代“ミス日本”に輝き、熱烈なオファーで映画界入り。“日本一の美女”として人気を博した。結婚後はテレビドラマや舞台で活躍。音楽家でギタリストの夫・丈晴さんとおしどり夫婦としても有名だった。そして今、 “言葉の力”を伝えたいと講演活動などに力を入れている。そのドラマティックな女優人生を2週にわたり紹介する。
裕福な少女時代と戦争の記憶
大阪の裕福な家庭に生まれた山本さんは何不自由なく幼少期を過ごした。当時住んでいたのは、ダンスホールのある3階建て洋館。水泳に明け暮れる活発な少女だったという。そんな恵まれた環境の中でも躾に厳しかった母。その教えは後の女優人生の指針になったという。
そして、そんな少女時代の唯一の”辛い思い出”だと語るのが太平洋戦争。終戦後は住み慣れた洋館がアメリカ軍に接収されてしまう。そして、そこから山本さんの人生が大きく動いていくことになる。
初代”ミス日本” そしてアメリカへ
18歳になった山本さんに大きな転機が訪れる。父親の友人に勧められて応募した第一回ミス日本コンテストに応募、見事グランプリに輝いたのだ。翌1951年には日米親善使節としてアメリカを2ヶ月かけて訪問。行く先々で大歓迎を受けた訪問だったが苦労も多い珍道中だったという。
名監督たちとの思い出
帰国後は映画界からの熱烈なオファーが相次ぐ。悩みに悩んでいた山本さんは、姉の、ある言葉で映画界入りを決意する。デビュー作はいきなり、当代きっての大スター長谷川一夫の相手役に大抜擢。大変なプレッシャーの中、なんとか役をこなすことに成功する。また、山本さんは数々の名監督の作品に出演してきた。そんな中でも特に思い出深いという衣笠貞之助監督の驚きの演技指導、そして小津安二郎監督の意外な素顔を語る。話は盛り上がり、ご主人との話や現在の山本さんの熱中している「言葉の力」については、次回ご紹介する。
カルチャーランキング
カルチャーランキング 忘れ得ぬハリウッド女優 ベスト5
熱中世代が忘れられない〝ハリウッド女優〟。女学生時代、足しげく映画館に通ったという山本さんにちなんで、熱中世代のオトナに「忘れ得ぬハリウッド女優」をアンケート。そうそうたる顔ぶれから熱中世代が選んだスターとは…。スターたちが出演した懐かしの名作、記憶に深く刻まれる名シーンもお楽しみに。
山本富士子(やまもとふじこ)さん
昭和6年大阪生まれ。京都府立第一高等女学校卒業。25年、読売新聞社主催の第一回ミス日本に選ばれ、翌年、日米親善使節として渡米。28年、大映入社。映画「花の講道館」でデビュー。37年、作曲家山本丈晴と結婚。38年、大映所属からフリーとなり、テレビ、舞台に活躍の場を広げる。代表作、映画「夜の河」、テレビ「にごりえ」、舞台「吉野太夫の恋」をはじめ多数の作品に出演。ブルーリボン主演女優賞、キネマ旬報主演女優賞、松尾、芸能大賞、放送作家協会賞など受賞多数。平成13年、紫綬褒章を受章。現在、朗読、講演活動も行う。著書「いのち燃やして」ほか