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2016年2月14日
熱中ゲスト
演出家 宮本 亜門
ミュージカルのみならず、オペラ、歌舞伎、企業イベントなど、幅広い演出で高い評価を得てきた日本を代表する演出家、宮本亜門さんをゲストに招く。
演出家デビューを果たした自作ミュージカル「アイ・ガット・マーマン」に至るまでの苦悩の日々、そして亜門さんの〝演出することへの情熱〟とチャーミングな素顔に鴻上尚史が迫る。
原点は最愛の母の教え
90年代に出演したCMの影響で「違いがわかる男」としてお茶の間に広くその名が知れ渡り、その後テレビタレントとしても活躍の場を広げていった宮本亜門さん。
亜門さんの生まれは、江戸時代から続く花柳界の町、東京・銀座。 両親は新橋演舞場の前に喫茶店を営んでいた。元松竹歌劇団のレビューガールで大の芝居好きの母は幼い亜門さんに舞台の持つ喜びや感動させる力を伝え続けた。そしてもう一つ、病弱だった母が残した忘れられない一言とは?
一方で成長するにつれ亜門さんを悩ませたのは、「人と好きなものが違う」という思い。
高校時代にはついには心を閉ざし引きこもりに…。暗闇でもがき苦しむ、そんな亜門さんを奮い立たせたのは大好きな演劇への思いだった。18歳で抱いた演出家になりたいという夢。そこには舞台を愛し続けた母から渡されたバトンを受け継ぐ決意があった。
"演出家 宮本亜門"に迫る
1987年、29歳の時に自作ミュージカル「アイ・ガット・マーマン」で演出家デビューを遂げる。2001年にはこの作品でニューヨーク上演を果たす。ところがこの時、9.11アメリカ同時多発テロに遭遇。その直後にはタイのバンコクで交通事故に遭い、50針を縫うほどの大けがを負う。そんな時でも亜門さんの頭をよぎったのは、次に手がける舞台のこと。どこまでも演出家たる所以とは…。
念願のオンブロードウェー公演を果たしたのは04年。東洋人初の演出家として「太平洋序曲」を上演し、同作はトニー賞の4部門でノミネートされるなど、活躍の場は世界に広がっている。
そして今テーマに掲げているのは"日本を演出する"ということ。
2013年からは歌舞伎を演出、2015年には上賀茂神社の式年遷宮で奉納劇を演出、
止まらない演出家宮本亜門、そのエネルギーの源とは。
"怒らない演出家"宮本亜門 VS 鴻上尚史
一緒に仕事をした俳優たちが口々に「やさしい」と評する亜門さん。いま稽古中の舞台の台本にはすでに書き込みや付箋がぎっしり。たとえボロボロになっても最後まで同じ台本を使い切るという。常に自分に対して冷静さと熱さの感情をうまく調節してバランスを保っているという亜門さん。そんな"亜門流演出術"に鴻上尚史が鋭く迫る。
意外な素顔 メガネ大好き!!その理由とは
2012年に日本ベストメガネドレッサーを受賞するなど、意外にも"メガネ"にはこだわりを持つ亜門さん。舞台稽古やその日の服装でメガネを変えるなど、メガネがなくては生きていけないとまで話す亜門さんだが、そのこだわりも演出術のひとつ?と思いきやその理由は意外なことだった。とてもチャーミングな素顔が明らかに…。
カルチャーランキング
2016年 世界を相手に活躍する日本人スポーツ選手は
フィギュアスケート、ラグビー、レスリング、メジャーリーグ、テニス、サッカー。
世界を相手に大活躍する日本人選手の姿は、いつも私たちを勇気づけてくれる。
半年後に迫ったリオ五輪をはじめ、今年も日本人選手の活躍が楽しみ。
そこで今回は、熱中世代のオトナ100人に聞いた「2016年 世界を相手に活躍が期待される日本人スポーツ選手」ベスト5をご紹介。
はたしてベスト5に選ばれた選手とは!?
2020年東京オリンピックへの期待も込めて、選手の見どころもたっぷりと・・・。
宮本亜門さん
演出家
1958年生まれ 東京都出身
ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎等、ジャンルを越える演出家として、国際的にも幅広い作品を手がけている。
04年、東洋人初の演出家としてニューヨークのオンブロードウェイにて「太平洋序曲」を上演し、同作はトニー賞の4部門でノミネートを果たす。
16年2月、和太鼓の演出で、DRUM TAOの「百花繚乱『日本ドラム絵巻』」のオフ・ブロードウェイ公演が行われた。