熱中世代 大人のランキング

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2015年4月12日

熱中ゲスト

美輪明宏(歌手・俳優・演出家) 前編

歌手・俳優など幅広く活躍する美輪明宏さん。 1950年代に妖艶な美貌で「神武以来の美少年」と呼ばれ一世を風靡。その後も「ヨイトマケの唄」など人々の心を揺さぶる歌を歌い続けている。 俳優としても寺山修司や三島由紀夫の舞台など数々の作品に出演。そんな美輪さんを2週にわたってゲストに迎え、波乱万丈の人生と輝き続ける魅力に迫る。

美輪明宏の〝原点〟 ふるさと・長崎

美輪さんは1935年に長崎市の丸山遊郭近くで生まれた。国際都市だった当時の長崎で、映画や演劇、音楽などの芸術や数多くの美しいものに触れながら育った。 両親が営んでいたカフェや料亭をはじめ、自宅そばの花街で見た男女のやりとりなどから、ある価値観を形づくるようになる。 美輪さんが「すべての原点」だと話し、現在へとつづく価値観。それは一体どんなものなのか。

極貧生活からの大ブレイク

音楽を学ぶため15歳で上京した美輪さんが送ることになったのは極貧の生活だった。親からの援助を絶たれたためだ。美輪さんが過ごしていた当時の生活とは・・・。 転機が訪れたのは16歳のとき。その舞台は、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」だ。看板歌手としての活躍と、経営の危機を迎えた「銀巴里」の起死回生をはかり美輪さんが打って出た、とある作戦、奮闘の日々に迫る。 その美輪さんの歌が大ヒットしたのは1957年。シャンソンをカバーした「メケ・メケ」だ。妖艶な美貌から「神武以来の美少年」などとうたわれて一世を風靡することになる美輪さんが、〝激動の時代〟を語る。

「ヨイトマケの唄」誕生秘話

シンガーソングライターの〝元祖〟でもある美輪さんは、数多くの歌を自身で作り、歌い続けている。 作詞、作曲をするようになったきっかけは、地方巡業で体験したある出来事だったという。そして生まれた歌のひとつが「ヨイトマケの唄」。美輪さんが込めた思い、そして作品の〝主人公〟のモデルとは・・・。 名曲の誕生秘話をたっぷりと。

カルチャーランキング

熱中世代が好きなシャンソン ベスト5

1950年代、日本に到来した〝シャンソン ブーム〟。フランスからシャンソン歌手が来日し、日本でも多くのシャンソン歌手が誕生した。〝シャンソン喫茶〟に通った思い出を持つ人も多いのではないだろうか。そんな〝シャンソンが熱い時代〟を過ごした〝熱中世代〟のオトナの皆さんが選んだ「好きなシャンソン ベスト5」を紹介する。
さらに、今、本場フランスでもっとも熱い〝シャンソン〟も取材。
美輪さんが語る〝シャンソンへの思い〟とは・・・。

撮影 御堂義乘

美輪明宏 歌手・俳優・演出家

1935年 長崎県出身
小学校の頃から声楽を習い、16歳でプロの歌手として活動を始める。
銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」を拠点にクラシック・シャンソン・タンゴ・ラテン・ジャズを歌って注目を集める。
1957年、「メケメケ」が大ヒット。また日本におけるシンガーソングライターの元祖として「ヨイトマケの唄」など多数の作品を手がける一方で、俳優、タレントとしても活躍。舞台・映画・テレビ・講演・著作と多方面で活躍。
演劇活動においても寺山修司の『毛皮のマリー』三島由紀夫と組んだ『黒蜥蝪』ほか数多くの作品に出演。近年では宮崎駿監督によるアニメーション映画「もののけ姫」「ハウルの動く城」での 声の出演 「紫の履歴書(水書房)」「人生ノート(パルコ出版)」「花言葉(パルコ出版)」ほか著書も多数。
波乱万丈な体験からくる、人生を語る言葉は、多くの人を勇気づけている。
2012年大晦日「NHK 紅白歌合戦」に初出場。時代を超えて愛される「ヨイトマケの唄」を披露した。2014年からはNHK連続テレビ小説「花子とアン」の語りを担当した。