SAMURAI エール

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2014年6月1日
"日本代表を創った男" 川淵三郎が、日本代表に送る、SAMURAIエール・・・

「自分が学生の頃、日本代表のジャージは緑色。胸に"JAPAN"の文字がとにかくかっこ良くて憧れていた」
当時をこう振り返る川淵三郎。1958年に初代表に選出され、1964年の東京五輪ベスト8進出に貢献した。
その後、Jリーグチェアマン、日本サッカー協会キャプテンなど日本サッカー界をけん引。川淵にとっての日本代表とは「私にとっては常に憧れの的。また、常にそういう存在であり続けないといけないのが日本代表だと思う。」
尽きない情熱で日本サッカーを変えた男、川淵三郎が今、日本代表に送るエールとは・・・

川淵 三郎(かわぶち さぶろう)

1936年12月3日、大阪府生まれ
大阪府立三国丘高校でサッカーを始め、早稲田大学、古河電工サッカー部でプレー。
早大在学中の1958年、国際親善試合の香港戦で日本代表デビュー。
1964年の東京オリンピックでは、強豪アルゼンチンを相手に1ゴール1アシストを決めるなど、チームの逆転勝利とベスト8進出に貢献する。
日本代表として国際Aマッチ26試合出場、8得点
現役引退後は古河電工監督を経て1980年〜81年に日本代表監督
1988年にJSL総務主事、JFA理事に就任し、日本サッカーのプロ化を牽引。
1991年にJリーグ初代チェアマンに就任し、「日本サッカーの強化」と「地域スポーツの振興」に力を注ぐ。
1994年にJFA副会長。2002FIFAワールドカップの日本招致と開催成功に尽力
2002年JFA会長に就任、自らの愛称を「キャプテン」と称し、草の根の目線に立った改革に着手。
その具体策として「キャプテンズ・ミッション」を策定し、サッカーの普及と強化、スポーツ環境の充実を推し進める。
「JFA2005年宣言」では日本サッカーの目標を明確に打ち出し、国内外に広く訴える。また、FIFAクラブワールドカップの日本開催やAFCプロリーグ改革などに手腕を発揮し、国際的に日本サッカーの存在感を示す一方、「JFAこころのプロジェクト」や「環境プロジェクト」など社会貢献活動にも心血を注ぎ、スポーツ界のリーダーとして尽力した
2005年AFCアワード・ダイアモンドオブアジア賞、2006年FIFA功労賞
2008年 第5回日本サッカー殿堂入り