北前船の海道(かいどう)をゆく

北前船の海道(かいどう)をゆく

  • トップページ
  • 放送内容

放送内容

第5夜「日本近代化の礎 加賀 海の豪商たちの隆盛」

シリーズ第5夜は、「海の百万石」といわれた北前船豪商を代表する銭屋五兵衛とその後の北前船。
加賀の「北前船主」の多くは、もともと滋賀・ 近江商人の“雇われ船頭”から出発した17世紀後半から18世紀はじめのことである。近江商人は、内地から最初に蝦夷地に入った商人といわれ、蝦夷地開拓によってもたらされた交易品を運ぶ船の、船頭や水主として、若狭、越前、加賀の船乗りたちを重用した。航海を任され、商品売買を経験するにつれて、彼らはしだいに商才を発揮しはじめる。加賀、福井には、北前船主の村が多く存在する。 日本一の富豪の村といわれた「加賀市橋立」、船頭たちが長旅の疲れを癒した「山中温泉」など、番組では、北前船の船主の暮らしを紹介する。
また、「海の百万石」といわれた加賀藩御用達の豪商銭屋五兵衛の活動・生涯となぜ銭五が成功したのか、豪商誕生の秘密に迫る。

さらに、北前船の湊であった門前町は、曹洞宗の本山「總持寺」の門前町として賑わった町である。巨大教団が能登半島の田舎で維持することがたのか、門前町が北前船の湊であったからだ。北前船が本山を支える員、物資の輸送を担ったのだ。

その後の北前船。
明治になると有力な船主は従来の日本形帆船に加えて汽船や西洋形帆形を購入し、江戸時代の北前船独特の商売だった買積み輸送ばかりでなく、他人貨物輸送にも乗り出した。その他、従来から兼業していた高利貸、銀行業、水産業(北洋漁業)、電力業、倉庫業、醸造を専業とし、日本の近代化を陰から支えたのである。