ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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8月20日(土)ゲスト:山川豊 (歌手)

歌手・山川豊。
今回のインタビューの場所は、東京・五反田にある渡邉ボクシングジム。実は山川は、ボクシング暦30年、プロのライセンスも取得した本格派。現在は同ジムでトレーナーとして若手選手の育成にあたっている。
1958年、三重県鳥羽市の漁師一家の次男として生まれる。両親は夫婦舟で沖へ繰り出し、父は漁、母は海に潜ってアワビなどを採っていた。体の細い母は大量には採れず、父がばくち好きだったこともあり、家は貧しかった。6歳上の兄は家計を助けるため中学卒業後、遠洋漁業の漁師に。そのころ、テレビで五木ひろしの「横浜たそがれ」を見て、歌の魅力に目覚めた山川は、徹底的に五木のまねをして歌の技術を磨いていく。
20歳の時、名古屋で行われたカラオケ大会で優勝し、レコード会社からスカウトされた山川。上京して歌手デビューに向けてレッスンを受けたが、そこでこれまでに培った得意のこぶし回しを否定され、完全に歌い方を変えられてしまう。鳥羽の漁師町で生まれ育った歌好きの若者は、こぶし無しで都会派の演歌歌手としてデビューした。
デビュー曲の「函館本線」がヒットし、その年、14の新人賞を受賞。しかし、その山川を圧倒したのが、同期の超人気アイドル近藤真彦だった。賞レースでは近藤にかなわないと悟った山川が力を入れたのが、当時盛んに行われていた芸能人運動会。持ち前の運動神経で見事1位に輝くも、そこでプロデューサーから掛けられたのは、何とも意外な一言だった。今だから明かせる裏話が山川の口から語られる。
東京で歌手デビューした山川に最も触発されたのは、兄だった。兄は船を降りて上京、作曲家の船村徹に弟子入りし、鳥羽一郎の名でデビューを果たす。鳥羽が力強いこぶしで歌い上げる「兄弟船」は大ヒットし、兄は弟よりも先に紅白歌合戦出場を果たした。「豪快にこぶしを回す、ありのままの歌手」鳥羽一郎が大活躍する一方で、「こぶしを取られた作られた歌手」山川豊は低迷期に入っていた。焦りと不安で精神的に参ってしまった山川が訪れたのは、ボクシングジム。がむしゃらにサンドバックをたたき、やがて心の平穏を取り戻した山川は、ボクシングで大切なものを手にいれたという。ボクシングを通して変化した、山川の心境とは?
1998年には、「アメリカ橋」をリリース。曲を作ったのは、五木ひろしの「横浜たそがれ」を世に送り出した、作詞家・山口洋子と作曲家・平尾昌晃の黄金コンビ。この曲で、山川は自身のスタイルを確立する。山川の代表作となったこの曲の意外な誕生秘話とは?
2011年、故郷の鳥羽で息子たちを応援し続けた母・春枝さんが他界した。山川よりも鳥羽一郎の曲が好きだったという母。しかし母の死後、母が山川の歌をうたっているテープが見つかったという。その歌声を聞いた時の、山川の思いとは?

8月21日(日)ゲスト:平泉成 (俳優)

俳優・平泉成、72歳。
7人兄弟の末っ子として、愛知県で生まれる。幼いころは、年に一度行われていた野外映画会で、俳優に淡い憧れを抱いていた。高校卒業後、名古屋のホテルに就職するも、将来に疑問を持った平泉は、ホテルの先輩の口利きで俳優・市川雷蔵と出会い、大映ニューフェイスの試験を受けることに。かわいがってくれたという市川雷蔵とのエピソードと当時の思いを語る。
スター候補として俳優の道を歩み始めるも、待っていたのは3畳一間の生活だった。京都撮影所に通う中で、スターになるためには結婚も普通の生活も諦めて、全てを芝居にささげるしかない、と決意する。しかし回ってくる役は、端役やエキストラばかり…。同期のニューフェイスが、次々と辞めていったという。
そんな中、平泉は、自身の後の人生を一変するある女性に出会う。彼女に一目ぼれした平泉は、この人を逃すと一生後悔すると思い、猛烈にアタックを開始。後に妻となるこの女性を射止めた方法とは? さらに、家族を持ったことで、芝居への思いも劇的に変わっていく。家族のため脇役でも何でも演じようと心に決めた平泉は、がむしゃらに芝居にまい進していった。妻のおかげで今の自分がいる、と感謝と愛の言葉を語る。
名脇役として第一線で活躍する今も、平泉は自身の芝居を下手だと分析する。若い役者に唯一勝てること、それは72年間生きてきた時間だという。「髪も顔もシワも人生の宝物」と語る平泉が、主役と脇役の演じ方の違いから、これまであまり語ることのなかった芝居への情熱を明かす。
1989年には、北野武監督が初めてメガホンをとった「その男、凶暴につき」に刑事役で出演。橋の欄干で首つり自殺のシーンを撮影していた時、本物の警察が駆けつけ、つるされた平泉を残して監督やスタッフが逃亡してしまい…。この時の抱腹絶倒の裏話を明かす。
趣味は、縦笛「ケーナ」作りと自宅庭園のバラの手入れ。高知県に竹を取りに行き、これまでに1000本以上のケーナを作ってきた。農薬の調合までもするというバラは、咲いている時だけでなく、枝だけの時もいとおしいと目を細める。ケーナ作りやバラの栽培を通し、自然の命のありがたさや尊さを学んだと語る。
俳優生活、52年。半世紀以上、役者を続けてきた平泉成の原動力とは、一体何なのか? その言葉には、平泉と同世代の人々にも希望と勇気を届けるであろう熱いメッセージが込められていた。