ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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12月12日(土) ゲスト:松方弘樹(俳優)

高校三年生で東映入りし、映画「17歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で銀幕デビュー。時代劇を中心に甘いマスクの二枚目スターとして活躍後、「仁義なき戦い」や「修羅の群れ」など実録やくざ路線でヒット作を連発。ライフワークの「マグロ釣り」では今年5月、死闘6時間半の末に、361キロの巨大マグロを釣り上げ話題になった。

インタビューが行われたのは、赤坂の料亭「口悦」。映画監督・小津安二郎が名付けた店には、映画関係者が多く訪れる。松方も行きつけの店だ。
松方は、時代劇俳優・近衛十四郎、女優・水川八重子の長男として誕生。弟は俳優・目黒祐樹。俳優一家に生まれたが、幼少時代の夢は「歌手」。歌手を目指し、16歳で上京。作曲家の内弟子となるも17歳で俳優デビュー。そのきっかけは?

役者としての大きな転機となったのは、映画「仁義なき戦い」。シリーズ5部作で3回登場。最後には殺されるヤクザ役だが、毎回違う役柄で出演し、個性的に熱演。当時30代前半。甘いマスクを嫌い、サングラスをかけてメイクも施し、強面の顔を目指した。顔にシワを刻むためにとんでもない方法を試した事もあったという。その方法とは?そこまでしても「悪」を演じるのは楽しい言う松方。その魅力とは?

綺羅星のごとく大物映画スターが数多く存在した時代に銀幕デビューした松方。鶴田浩二にはカッコいい着物の着方を、萬屋錦之介には長袴の美しいさばき方を学んだという。石原裕次郎や菅原文太との交流秘話も紹介する。
そして「殺陣の名手」と言われる松方は、独自の技を披露。美しい立ち居振る舞い、カメラ位置を意識した刀のさばき方など、その極意を実演。

役者だけでなく、監督やプロデューサーもつとめて才能を発揮。3億円もの収入を得たことも。それを一気に使い切ったエピソードも紹介。その豪快なお金の使い方とは?
ライフワークである「マグロ釣り」。これまでに300キロ超えを3度も釣り上げた実績を持つ。今年5月に釣り上げたのは自己最高記録361キロのマグロ。死闘は6時間半に及んだという。
なぜそこまで、マグロ釣りに挑むのか?その魅力を熱く語る。

映画の世界で50年以上も活躍し続け、大海原では巨大マグロに挑み続ける松方。73歳の今も衰えを知らず、第一線で輝き続ける、その原動力とは一体何なのか?

12月13日(日) ゲスト:川中美幸(歌手)

歌手・川中美幸。NHK紅白歌合戦出場24回、数々の音楽賞を受賞する国民的歌手である一方で、舞台女優としても活躍し、文化庁芸術祭大賞も受賞している。今年12月に還暦、そして来年はデビュー40周年を迎える。

両親は大阪で乾物や雑貨を扱う商売人。家業は順調、いつも歌が絶えない家庭だったという。しかし、父親が交通事故を起こし生活は一転。酒を飲み病気がちになる父に代わって母・久子が大黒柱として一家4人を支える。仕事はトラックを運転しての配送。週に6日、休まず働いて養ってくれたという。それでも弱音や文句を言うことなく前向きに生きる母の背中を見て育った。

美空ひばりや都はるみの歌を歌うことが唯一の楽しみ。やがて地元ののど自慢大会で優勝を重ね、歌への自信を深める。「母を楽にしてあげたい」。その一心で歌手になることを心に決めた。

中学時代にスカウトされ、15歳で上京。「春日はるみ」の名でデビューしたが、鳴かず飛ばずで大阪へ帰ることに。その時、失意の娘を救ってくれたのは母の言葉だった。
一度はあきらめた歌手への夢。やがてもう一度チャンスを得て「川中美幸」として再デビューを決める。それでも数年は売れずに自信を失っていた。そんな時に出会ったのが、後にミリオンセラーとなる「ふたり酒」。しかし最初は「こんな歌、私には歌えない」と思ったという。その時も母親の言葉を聞いて気持ちを切り替え、自信を持って歌えるようになった。

森繁久彌さんと共演するなど舞台でも活躍。文化庁芸術祭大賞を受賞した際には母親も喜びの声を伝えている。

番組では随所に川中美幸のヒット曲を織り込み、他にも幼いころから繰り返し歌っていたという美空ひばりの歌やザ・タイガースの歌をピアノの生演奏で披露。
さらに、一度は挫折した歌手の道に再び挑むきっかけとなった「川中美幸」デビュー前の貴重な歌声を40年ぶりに公開する。