ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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11月7日(土) ゲスト:黒木瞳(女優)

女優・黒木瞳。宝塚の娘役トップスターを経て、映画「失楽園」でアカデミー賞主演女優賞を受賞。その後、数々の映画、テレビドラマに出演し、今を代表する女優として常に注目を浴びている。その傍ら、エッセイや詩集も手掛け、今回のインタビュアー、編集者の石原正康とはこれまで5冊の本を出版。30年に渡る旧知の仲。普段あまり聞くことがない、黒木の原点から、女優への信念、さらに私生活まで、石原が黒木の素顔に迫る!

福岡県八女市生まれ。山間の小さな町に4人兄弟の末っ子として育つ。好きなモノは本と歌。学校の図書館にある本を読破し、町の図書館で詩と出会う。そして毎年、のど自慢大会に出場するほど大の歌好き。幼少時代の夢は「歌手」だった。女優になろうと思ったのは、中学2年生の時。そのきっかけとは?

高校に入ると、演劇部に入部。コンクールにも出場するが、"こんな田舎にいても女優になれるわけがない"と、音大を受験。学校の音楽の先生になろうと思っていた。ところが、"高校卒業の思い出作りに"と、宝塚を受験したところ、見事合格!人生の大きな転機となった。なぜ、黒木が宝塚を合格できたのか…。そこには意外な事実があった。
宝塚歌劇団に入団すると、トップスター大地真央の恋人役として異例の大抜擢。しかし、思うように歌と踊りができず、涙を流す日々が続いたという。

女優としてのデビュー作は、映画「化身」。演じるのは、銀座のホステス。そのため、高級クラブで1週間の修業を積む。愛人契約の話をされたり、同伴をしたり…。今では信じがたい経験をすることとなった。それから11年、社会現象ともなった映画「失楽園」に出演。アカデミー賞主演女優を受賞した時、黒木は何を思ったのか?そして、黒木にとってこの作品は今、どんな存在なのか?

時に上品に、時に官能的に、数々の役を演じてきた黒木。その役作りには、黒木ならではのこだわりの方法があった。そして今年、自ら映画監督に挑戦。国民的女優を駆り立てる原動力は一体何なのか?

さらに、公私共に親しい石原が、知られざる黒木のプライベートに迫る。得意料理から家族と出かける場所まで…、自由気ままに黒木が語った。

11月8日(日) ゲスト:中村玉緒(女優)

1939年、京都で生まれた中村玉緒。父は、歌舞伎俳優で人間国宝の二代目中村鴈治郎。父が大好きだったという中村、幼少時代から父の舞台に立っていたが、一方で、憧れは女子大生という普通の女の子だった。
転機は中学1年の時、撮影所の近くに住んでいた中村を見た映画監督が、中村に目をつけスカウトする。そして、1953年、14歳で映画デビューを果たすと、女優の仕事にのめり込む。当時から、決めたらトコトン突き詰めるという性格だった。

女優として花開いたのは1960年公開の映画『大菩薩峠』。この映画でブルーリボン助演女優賞を獲得する。しかし、この直後に中村は大きな決断をする。
1962年、俳優の勝新太郎と結婚。同時に子供も授かり、専業主婦になる。最高潮での女優業休止だった。

勝新太郎との夫婦生活は、多くのメディアなどでも報道されているが、中村はどんな状況の中でも、勝を支えた。どのように結婚に至ったのか。結婚後に、中村が勝に出した条件とは。そして、様々な問題を抱えながらもなぜ離婚をしなかったのか…。当時のエピソードを中村が赤裸々に語った。

一方で、中村は趣味が多彩。その一つは、韓国ドラマ。自宅には韓国ドラマの専用チャンネルをひき、予約せずリアルタイムでドラマを楽しむのだという。最初は二枚目スターを観たいという事から始まったそうだが、今では韓国ドラマの撮影舞台裏にも興味を持っている。更に、最大の趣味はパチンコ。趣味を越えて、仕事と同様にスケジュールに入っているという。高い勝率を誇っている中村が重要にしている事は勘と引き。それは女優業にも活かされているのだという。

今回のインタビュアーは映画監督のヤン・ヨンヒ。今でも過去の中村の美しさに震えるというヤンが、中村の女優としてのこだわり、更にはきれいに年を重ねる秘訣に迫った。数々の困難を乗り越え活躍する中村が、自らの経験と本音を語る60分。私たちの未来の道しるべになるはずだ。