ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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9月12日(土) ゲスト:岸谷香(音楽家)

今から3年前の2012年、東日本大震災の復興支援のために、16年ぶりに再結成を果たした伝説のガールズバンド「プリンセスプリンセス」。仙台を始め、武道館、東京ドームなどで公演が行われ、約13万人がつめかけ、5億円を超える義援金を集めた。そのヴォーカルを担当していたのが、岸谷香(旧姓・奥居)だ。
「プリンセスプリンセス」ファンを自認する月刊「ゲーテ」編集長・館野晴彦が、岸谷の素顔に迫る。

教育熱心な母の影響によって始めたピアノ。それが、後の岸谷の音楽の才能を花開かせることになる。岸谷が実際にピアノを演奏し、幼少時代に体験した練習を実演。すると舘野が、岸谷に急遽、弾き語りをリクエスト。なんと、あの不朽の名作『M』を生演奏。そして、名曲『M』誕生に隠されたエピソードが明かされる。

1983年、15歳でガールズバンドを結成するためのオーディションに挑戦した岸谷は、1500人中、5人に選ばれる。後に伝説のバンドとなる「プリンセスプリンセス」が産声をあげた瞬間だった。しかし、岸谷が音楽の道を進むには、教育に厳しい母の理解を得るという壁を乗り越えなければならなかった。その時、岸谷が母と交わした約束とは?

デビュー当時、女性だけで構成されたバンドは、色物扱いを受ける。しかしその後、彼女達を後押しするバブル全盛の時代が訪れる。女性ならではのストレートな歌詞とポップな楽曲が、見事時代にマッチ。一躍スターダムに上り詰める。普通の女の子達が、ロックスターの道を歩み始めるのだが、実はその裏側には、バンドを維持するための知られざる物語があった。

人気絶頂の1996年5月に『プリンセスプリンセス』を解散すると、翌月、俳優・岸谷五朗と入籍。以前、この番組に出演し家庭での様子を明かした夫・岸谷五郎。今回、妻の岸谷香は、何を語るのか?

二人の子どもを授かり、子育てに専念し音楽から離れて10年が経とうとしていたある日、岸谷に転機が訪れる。それは、闘病中だった母の言葉だった。岸谷が音楽活動に戻ることを、強く後押しした母の感動的な一言とは?
そして、2014年に本格的に音楽活動を再開させた彼女が、今年6月、自ら作詞、作曲、そして、全ての楽器を手がける意欲作「DREAM」を発表。9月からは全国ツアーも予定されている。

16歳でデビューし、今年48歳。数々の経験を通して、第二の人生を歩み始めた音楽家・岸谷香の新たな夢とは?数々の名曲と共に、彼女の激動の半生が、今紐解かれる。

9月13日(日)ゲスト:クミコ(歌手)

歌手、クミコ。1978年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。1982年、シャンソニエの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタート。渋谷の小劇場「ジァンジァン」にも立ち、ジャンルを問わず日本語にこだわった歌を歌い続ける。

1954年、茨城県水戸市生まれ。幼い頃から人前で何かをして、褒められるのが好きだったという。早稲田大学に進学し、劇団で劇中歌を歌い、芝居より歌の魅力を実感。知り合いにバンドに誘われ、「ホンキートンク」を結成。「世界歌謡祭」の日本代表の一人に選ばれ、武道館の舞台へ。しかし、予選落ちし、デビューのチャンスを目前で逃す。

26歳でバンド仲間と結婚。翌年、銀座の老舗「銀巴里」のオーディションを受けて合格。思いがけず"シャンソン歌手"として、プロ活動を開始した。独自の世界観で歌いながら、渋谷の小劇場「ジァンジァン」にも出演。客席で見ていた永六輔に面白がられ、「何でもない人でありながら毒気を放つ」と評された。

36歳で銀巴里が閉店。歌手としても半端な時期を過ごし、歌以外の道を模索。シナリオライターの養成学校に通ったり、飲み屋のママをしてみたり。色々試したものの、やはり残ったのが歌だった。もう1度、歌で頑張ろうと思った矢先、アクシデントが襲う。声帯を痛めて緊急入院。歌手にとっての命、"声"が変わるかもしれないという危機に直面する。しかし必死のリハビリで、元の声を取り戻す事が出来たという。

その後、2002年に「わが麗しの恋物語」を発表。この歌が"聴くものが涙する歌"としてシャンソンとしては異例のヒットを記録。2010年には、広島の悲劇を背景にした反戦歌「INORI」を発表。
USEN総合チャートで1位を獲得し、念願のNHK紅白歌合戦に56歳で初出場した。

ようやく光が差し込んできたクミコにまたしても悲劇が襲う。2011年3月11日、コンサートで岩手県石巻市を訪れた際、東日本大震災に遭遇。その惨状を目のあたりにし、「歌には何の力もない」と落ち込み、無力感から笑えない日々を過ごしたという。しかし震災から3か月後、石巻を再訪。ここを"再出発の地"とし、復興音楽祭に参加。

そして今年、60歳を迎えたクミコが新たなジャンルの歌に挑戦する。それが「子守唄」。作詞家・湯川れい子には「母声」と称され、作曲家のつんくには「圧巻の癒しボイス」と言われる歌声。次世代に歌い継ぐ子守唄に込めるクミコの思いとは?長年の下積み時代を支えて来たものとは?知られざる遅咲きの歌姫クミコ、その歌声の秘密に迫る!