ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
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6月20日(土)ゲスト: 辻口博啓 (パティシエ)
国際的な洋菓子コンクールで、何度も世界一の座を掴んできた、世界を代表するパティシエ・辻口博啓。世界中の人々が連日訪ねるという自由が丘の店「モンサンクレール」を始め、現在、全国各地にコンセプトの異なる12種類のブランドを展開。さらに、日本スイーツ協会やスイーツの専門学校を設立し、未来のパティシエの育成にも力を注いでいる。
そんな日本のスイーツ文化をけん引している辻口だが、これまでの道のりは平坦なものではなかった。18歳の時、実家の和菓子店が倒産し、父親が失踪…。単身で上京した後は、人並みならぬ過酷な修業時代を送る。そこまでして、ケーキ作りにこだわったワケとは!?
生まれは、現在放送中のNHK連続テレビ小説「まれ」の舞台でもお馴染み、石川県能登半島の七尾市。辻口の実家は祖父の代から続く、老舗の和菓子店「紅屋」。当時、家の近くに「紅屋前」というバス停があったほどの有名店だったという。物心つく前から、“父のような和菓子職人になりたい”と思っていたものの、小学3年生の時、ある出来事がきっかけで、洋菓子に目覚める。
パティシエになるために上京しようとした時、父親が知人の借金を肩代わりして、「紅屋」が倒産寸前に。“一緒に七尾で頑張って”という母親を半ば強引に説得し、上京。東京のケーキ屋に住み込みで働く。睡眠時間は2~3時間。全く洋菓子の知識がなかった辻口は、人気店のゴミ箱を漁り、素材を徹底的に研究した。そこには「少しでも早く、誰よりも早く一人前になりたい」という辻口の思いがあった。
ブレイクのきっかけとなったのは「料理の鉄人」への出演。辻口が出演する前まで、パティシエが鉄人に完敗を続ける中、初めての勝利。実は何故パティシエが鉄人=シェフに負けるのか、辻口は理解していた。辻口が鉄人を打ち破ったその秘策とは!?
自分の名前が全国区になったことがきっかけで、14年間失踪していた父と再会を果たす。その時、父は末期のがんに侵され、変わり果てた姿だった。そこで辻口は、父に「人生」という名のケーキを差し出した。その時、父は…。そしてその父から人を許すことの奥深さを学んだという。
6月21日(日)ゲスト:DaiGo (メンタリスト)
自称「日本唯一のメンタリスト」というDaiGoに松岡修造が迫る。
フォークをぐにゃぐにゃに曲げたかと思えば、他人の心理をずばり言い当てたり、思いのままに操ったり…。数年前、テレビで神秘的なパフォーマンスを見せ、一大ブームを巻き起こしたDaiGo。それまでの超常現象パフォーマンスとは一線を画し、「メンタリズム」という聞き慣れない言葉を掲げて話題となった。しかもそれは不思議なことではなく、全て科学で説明がつくのだと、テクニックを隠すこともない。
ところが、1年ほどして突然「引退宣言」。しかも翌日には撤回するというお騒がせぶり。世間では、ドタキャン、すっぽかし、わがまま放題と噂され、非難の的に…。実はその時、メンタリストの心の中はボロボロだった。
テニスプレーヤーとして現役時代からメンタル面を重要視してきた松岡修造は、いま、DaiGoに大注目。これからの世界で、心の強さを保つためにはどうすればいいのか。
自身の経験と、メンタリストへの期待を交えて迫っていく。
実は「メンタリズム」の歴史は古い。元々、中世の宗教家や近代の政治家が民衆の心を掌握するために使ったテクニックだという。不思議なパフォーマンスはそのためのツール。全ては物理や心理学で説明がつくのだという。
そうしたテクニックを使って、DaiGoがメンタリストになったのは、人の心に興味があったからだという。1日20冊の本を読むという読書家。とにかく情報に飢えている。活字や人との会話から情報を得ていくことが楽しくてしょうがないのだという。
しかし、テレビに出るようになり派手なパフォーマンスが注目されるにつれ、本来、DaiGoが目指していた、人の心を知りたい、研究したいという自身の欲求から遠ざかっていくことに不満を募らせていく。その結果、テレビの仕事を拒否し、わがまま放題とも思える言動の末に「引退宣言」。メンタリストでありながら、そのとき自分の心をまったくコントロールできていなかったという。
そんな状態から立ち直り、いまは自分のやるべきことを見つめ直している。壮絶ないじめに遭った子ども時代を振り返り、いつも支えてくれた母親への想いをさらに強くしていくDaiGo。松岡は、これからDaiGoがどこへ向かっていくのか、どんなことをして行くのかに期待を寄せる。