ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
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10月4日(土)ゲスト:木の実ナナ
女優・木の実ナナに向き合うのは、月刊「DRESS」編集長・山本由樹。山本が面識の無かった木の実に興味を持ったのは、自身が編集長を務める雑誌の連載ページだった。 編集長として木の実の特集記事をチェックしていると、ある言葉に目が止まる。それは…「人は誰でも孤独なもの。孤独があるからこそ深い喜びも味わえる」というものだった。その言葉の真意や背景を知りたいと思った山本は、木の実とのインタビューを熱望、実現した。
日本人が作ったオリジナルミュージカルはヒットしない…。 そんな風潮があった日本演劇界で初めて成功を収めたのは、1974年に初上演された「ショーガール」と言われている。 木の実ナナと細川俊之、二人だけの出演者で上演された「ショーガール」は、大人の恋の物語を歌と踊りで綴り多くの観客を魅了した。 この作品は14年間で16シリーズが上演され、総観客動員は60万人を超す大ヒットとなり木の実ナナの出世作となった。 それ以降、多くのミュージカル作品に主演しミュージカル女優として活躍する一方で、「オレゴンから愛」そして「たけしくん、ハイ!」などのテレビドラマでも人気を博した。
トランぺッターの父、そしてダンサーの母の元、東京の下町・向島で生まれた木の実が、隣接する花柳界や赤線で働く女性たちから学んだこととは?
新人オーディションでスカウトされ、16歳で歌手デビュー。しかしヒット曲に恵まれず、後輩の前座やキャバレー周りの日々。そんな木の実が、一念発起し渡米した理由。そしてショービジネスの本場、アメリカで影響を受けた映画女優とは?
帰国後、26歳の時、劇団四季の厳しいオーディションを突破。本場アメリカでの修行が実を結び、歌や踊り、演技が高く評価された木の実はその後、ヒット作「ショーガール」への切符を手に入れる。しかし、プライベートでは大きな悩みを抱えていた。
父は酒浸りの日々を送り、アルコール依存症と診断され木の実が家計を支えた日々。32年間に及ぶアルコール依存症だった父との暮らしから、木の実はなぜ逃げ出さなかったのか? そして、40代半ばに自身を襲った「更年期うつ病」など、華やかな人生のステージに隠れていた木の実の孤独に迫る。