昭和偉人伝

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やなせたかし

国民的キャラクター「アンパンマン」の生みの親・やなせたかし。
2011年3月・東日本大震災のとき、やなせが作詞した「アンパンマンのマーチ」をリクエストするメールがラジオ曲に寄せられました。普段はアニメソングを放送しないFM局が「アンパンマンのマーチ」を流したところ、子どもだけでなく大人からも「勇気づけられた」という反響が殺到しました。リスナーはその示唆に富んだ詩に心を打たれたのでした。

困っている人に自分の顔を食べさせる正義のヒーロー「アンパンマン」。子ども向けの作品だと思われがちですが、その物語性やテーマ曲は大人の心をも揺さぶります。「アンパンマン」の根底にはやなせたかしが歩んできた人生が色濃く反映されているのです。

アンパンマンが大ヒットしたのはやなせが69歳の時でした。その超遅咲きの人生は様々な出会いと苦悩の連続でした。常に背中を押してくれていた最愛の妻が余命宣告を受け絶望に明け暮れた日々。漫画家として代表作がない中、手塚治虫や永六輔といった才能豊かな人々から慕われ、アニメーションのキャラクターデザインやミュージカルの舞台装置といった畑違いの仕事を次々とこなした日々。テレビ番組の構成やラジオドラマの脚本なども数多く手がけ「困ったときのやなせさん」の異名を取りました。誰もが知っている「手のひらを太陽に」の作詞や、今でも使われている老舗百貨店の包装紙のレタリングは若き日のやなせたかしが手がけたものです。
そして戦争体験。やなせは22歳で徴兵され、27歳で復員するまで軍隊生活を送りました。その時の経験が「アンパンマン」の根底に流れているのです。番組では、漫画家・小島功、里中満智子、元歌手で女優の宮城まり子など、やなせたかしと縁の深かった人物から証言を得ました。「アンパンマン」を通してやなせたかしは何を訴えたかったのか?顔を食べさせる異色のヒーローに隠されたメッセージと、その生みの親・やなせたかしの人生に迫ります。