SUZUKI presents「極上空間」小さなクルマ、大きな未来。
ストーリー
3月9日(土)
第99回ゲスト:藤波 辰爾×長州 力
今回のゲストは…プロレスラーの藤波辰爾さんと長州力さん。
80年代にとなり、新日本プロレスの黄金時代を築いた"因縁のライバル"…
2人の数々の激闘は、「名勝負数え唄」と謡いあげられ、日本中を熱狂させました。当時の小・中学生男子が「藤波派」と「長州派」に分かれ、どっちが強いかを議論しあったり、会社や上司へのストレスを抱えるサラリーマンたちが、組織に謀叛を起こした長州選手を熱く支持するなど、2人のライバル関係は社会現象になりました。当時は全く会話をしなかったというお二人が、今回は初めて2人きりでのドライブ。これまで、語られることのなかった貴重な秘話が続々飛び出しました!
1982年に、長州さんが先輩の藤波さんに反乱を起こし、ライバル関係を生む発端となった『かませ犬発言事件』。あの日 長州さんは、なぜ反乱を起こしたのか?その時、藤波さんの胸中は?そして事件の日、師匠・アントニオ猪木がとった行動とは…? さらには、日本のプロレス界を牽引してきた偉大なる2人、ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんの人間性やプロレス観を比較し合うという、超貴重な会話まで…ここでしか聞けない秘話が満載です!!行き先は熱海。絶品焼肉を堪能し、絶景の温泉を楽しみました!!
助手席に座った途端「藤波さんの運転するところ見たことない。大丈夫?」という長州さんに「大丈夫!」とやる気満々の藤波さん。「番組観た人ビックリするんじゃない?あの2人が同じクルマに乗ってドライブしてる!って」と、ご本人たちが語るほど、昔ではありえない貴重な2ショットドライブ!
トークは、お二人がプロレスの世界に入ったキッカケから…。「人と争う事が苦手で、当時テレビのプロレス中継も怖々見ていた」という藤波さんですが、実は憧れていたのはプロレスラー。地元(大分)に怪我の治療に来ていたプロレスラーの北沢幹之さんを学生服とカバン一つで突然訪ねてレスラーになりたいと直訴。そしてそのまま巡業に同行し、この世界に飛び込んだのだそう…。一方長州さんは、1972年ミュンヘン五輪に出場するなど、アマチュアレスリングの実力者でした。
その能力を買われ、1973年に新日本プロレスからスカウトされて入門。
しかし本人は、特にプロレス好きだったわけでなく、食べていく為の就職と言う考えでこの世界に入ったのだとか。新弟子時代は「スクワットとプッシュアップがキツク、腕が上がらなくて顔が洗えなかった」と長州さん。そして、藤波さんも「練習後は二子玉川の駅の階段を上がれなかった。体も出来ていないまま入門して、中々太る事が出来ず大変だった」と若手時代の苦労話が飛び出しました。そしてお二人といえば…1982年に後楽園ホールで行われた6人タッグマッチ・猪木、藤波、長州組対ブッチャー、アレン、ジョーンズ組での『かませ犬』発言事件。突如、長州さんが、タッグを組む仲間であるはずの藤波さんに楯つき、因縁のライバル関係を生む発端となった伝説の試合…「途中まで起きている状況が掴めなくて…タッチが普通じゃないと2~3回後に分かってきた」と振り返る藤波さん。一方、反乱を起こした長州さんは「鮮明に覚えている。このままではコイツより絶対上に行けないんじゃないか…でも俺の方が絶対上だ」という信念を持っての行動だったそう。31年の時を経て、互いに話したことのなかった当時の思いが語られました。
そして藤波さんには、あの日、忘れられないもう一つの思い出が…
「あの時の猪木さんの顔が引きつっていた。終わった後、猪木さんが控室前の階段で待っていた。いや参った」と、振返ります。一方、事件を起こした長州さんは「あれでクビになると思った」など、2人ともこれまで語ることのなかった貴重な舞台裏秘話を語ってくださいました。
さらに、もう一つ、この2人ならではのプレミアムトークが…
「馬場さん、猪木さん両巨頭が2人いて、馬場さんと猪木さんの凄さは違うけど、あの2人がいたからこの業界が盛り上がったと思う」と長州さん…猪木さん率いる新日本、馬場さん率いる全日本、両者のリングで闘った経験を持つからこそ語れる、2人との秘話を明かしてくれました。因縁のライバル2人が語った、もう一つの因縁のライバル「馬場と猪木」。2人のレスラーとしての顔、経営者としての一面など、プロレスファンならずとも、このお二人の"馬場・猪木論"は必見です!
藤波 辰爾(ふじなみ たつみ)さん
1953年12月28日生まれ 大分県出身
1970年6月、16歳で日本プロレスに入門。1972年3月、新日本プロレスの旗揚げに参加。1974年に開催された第1回カール・ゴッチ杯で優勝を果たし、1975年6月に海外遠征へ出発。カール・ゴッチ氏のもとで修行を積み、1978年1月 WWWFジュニア・ヘビー級王座を獲得。同年3月に帰国し、空前のドラゴンブームを巻き起こし、ジュニア戦線を確立。1981年10月にヘビー級転向後は、数度に渡るIWGPヘビー級王座、タッグ王座の戴冠、G1優勝等、新日本プロレスのエースとして活躍。1995年10月、自主興行『無我』を旗揚げし、1999年6月より5年間に渡り新日本プロレス社長を務めた。2006年6月30日付けで新日本を退団し、同年8月に『無我ワールドプロレスリング』を旗揚げ。2008年1月より団体名を『ドラディション』に変更し、取締役社長を務めるだけでなく選手としても活躍中。
長州 力(ちょうしゅう りき)さん
1951年12月3日生まれ 山口県出身
専修大学時代にレスリングで活躍し、1972年のミュンヘンオリンピックに出場。1974年8月8日、東京・日大講堂におけるエル・グレコ戦でデビュー。1982年からの藤波辰巳(現・辰爾)との抗争劇の一連の闘いは「名勝負数え歌」と称され、数々のベストマッチを生んだ。1984年12月にジャパン・プロレスを旗揚げし、全日本プロレスに主戦場を移す。1987年5月、新日本プロレスへ復帰。新日本プロレス黄金期を支えた。1998年1月4日、東京ドームで現役を引退し、以後は新日本プロレスの現場監督として活躍するも、2000年7月、大仁田厚との有刺鉄線電流爆破マッチで現役復帰し勝利。2003年3月にはWJプロレスを旗揚げしたが、翌2004年に活動休止に。2004年11月より、ふたたび新日本へ本格参戦をはたし、2006年5月にはリキプロ主催興行「LOCK UP」を始動。その後も新日本プロレスを中心に全日本プロレス、リアルジャパンプロレス、DRADITION、DRAGON GATEなど主要団体に精力的に参戦。2010年1月より藤波辰爾、初代タイガーマスクらと共に「LEGEND THE PRO-WRESTLING」をスタートさせ、活躍中。
焼肉レストラン 秘苑
住所: 静岡県熱海市銀座町8-18 |
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磯料理/湯の宿 平鶴
住所: 静岡県熱海市下多賀493 |
「こんなの初めてだな。」「プロレスの巡業に行く時もこういうこともないし…」とお二人にとっても、少し不思議な空間となった今回のドライブ♪
長州:普通の人が観たらどう思うんだろうね。ウワッて思うんだろうね。
藤波:本当だよ(笑)多分、番組見た人はビックリするんじゃない?
あの2人が同じクルマに乗ってドライブするっていう…
と、ファンたちのイメージを翻す2ショットドライブが実現した事を、ご本人達も面白がっている様子♪
さらに、途中、立ち寄った焼肉店では…
「本当に上手い!」「このくらいの量(昔は)10分あれば平らげていた」「藤波さん財布持ってますよね?」と上機嫌な長州さん。そして…
長州:いい天気だし、上手い焼肉も食わせてもらったし。これ以上文句言えない…。
藤波:でも、我々もやればできるんだよ。ちゃんとドライブしてね。
長州:スタッフはヒヤヒヤしているんじゃねえか?(ロケ中)いつどこでブチきれるか…。
と、今だから言える冗談まじりのドライブは、お二人にとっても良い経験となったご様子でした☆
裏話担当:プロデューサーK
「藤波さんが運転する所を見たことが無い!運転大丈夫?」と、不安気な長州さんを助手席に乗せ、
「おれは安全運転。」と、藤波さん運転で熱海へドライブ!!
東京から熱海まで約2時間…
藤波:うまいでしょ?運転。
長州:いや、あまり気にして見ていなかったけど。(笑)
と、どうやら藤波さんの運転は、快適だった様子の長州さん。すると…
長州:どうですか?運転のし心地は?
藤波:運転しやすい。初めて、ちょっと目線が高いクルマを運転したけど、凄い運転しやすい。
と、今回のクルマ「ソリオバンディット」を気に入って頂けた様子。しかも…
長州:最初に見た時、これは(この2人で乗ったら)きついかなって思ったけど、ゆったりしてる。
藤波:これが、2人乗って、肩が触れ合うぐらいの広さだったら…。
でもこれはゆったりしている。
長州:天井高いしね。
藤波:しかも、(走りも)凄いスムーズ。これいいな。
長州:いいですね。藤波さんの運転(の技術)よりはクルマですね。(笑)
と、極上空間に上機嫌なお二人でした☆
目ヂカラが違う。ツラ構えが違う。この顔に、クラっときたら。 |