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ストーリー

10/10(火)の放送
黄色の探検隊

中央アジア自動車横断

フランスに、シトロエンというクルマが誕生したのは、第一次世界大戦が終結したすぐあと、1920年代はじめのことだった。シトロエンのマークのもとであるダブルヘリカルギアに続いて、戦時中は大砲のタマづくりで財を成したアンドレ・シトロエンは、平和な時代の到来とともに、今度は、アメリカのフォードにならって、フツーの人々が買えるようなクルマを作ろうと決意したのだ。そしていきなり、世界をアッと言わせるような探検隊を何度も送り出して見せるのだった。

砂漠を行くチャイナ隊

大規模なパブリシティ活動を試みたシトロエンは1922年サハラ砂漠をクルマで走破。クルマをつくり始めてまだ3年目であった。その6年後、今度はアジア大陸を横断する壮絶な計画を立てた。ゴビ砂漠を走るが燃費と地域紛争に阻まれ、労力と費用がかさんだ。前もって隠しておいた燃料を途中でいれるなど準備をしていたのが功を奏した。

高山を行くパミール隊

アフガニスタンでは街をあげての歓迎と砂漠で苦労したチャイナ隊と違い順調なスタートを見せた。しかし、試練は後半にあった。ヒマラヤの5000メートル級の高地を進まなければならない。最初は6気筒で計画したが、クルマを軽くする為4気筒となった。岩を崩しながら進んだ。時にはクルマを分解して、人手で運んだ。そしてまた組み立てて走った。10キロを6時間かけて進むこともあった。頂上付近では6センチの積雪もあった。そうして1932年2月北京入りしたのであった。