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イギリス・華麗なる宮殿の旅 ホリールードハウス宮殿
長い歴史と伝統を誇るイギリス王室。その宮殿に刻まれた知られざるエピソードと美しい建築の数々を、BBCのプレゼンター、フィオナ・ブルースが紹介していく全3回シリーズ。
第3回は、イギリス北東部スコットランドの首都エジンバラにある「ホリールードハウス宮殿」。死火山や切り立った崖などの雄大な景観にたたずむこの城には、イングランドとスコットランドの対立、そして王室にまつわる権力抗争のドラマが渦巻いている。歴史を物語る秘蔵品を紹介しながら、近代イギリスの成り立ちをひもとく。
1542年、ホリールードハウス宮殿の歴史はメアリー・スチュアートという女王が誕生したことから始まる。当時は、対立する領主たちが権力争いに明け暮れた時代。わずか5才のメアリー女王は、母の故郷フランスに送られ、15才にしてフランスの皇太子と結婚。夫の即位によりフランス王妃となるが、3年後には夫が病死。若きメアリー女王は、ホリールードハウス宮殿に戻り、自らスコットランドを統治しようと決意した。
1565年、メアリー女王はヘンリー・スチュアート・ダーンリー卿の子を身ごもる。しかし結婚してすぐ、ダーンリー卿はメアリーと側近男性との仲を疑ったあげく側近を殺害。身の危険を感じたメアリーは宮殿を飛び出した。やがて世継ぎとなる息子ジェームズを出産し、ダーンリー卿とも和解。ところが、その直後にダーンリー卿は謎の死を遂げ、夫暗殺の容疑をかけられたメアリーは、強制的に退位させられる。わずか1歳の幼子ジェームズが国王に即位。父方の祖母マーガレットの支援もあり、一時イングランドをも支配するが、その後の内戦により処刑されてしまう。宮殿に残された宝飾品からは、この波乱に満ちた歴史の一部を見ることができる。
その後もホリールードハウス宮殿は、スコットランドとイングランドの抗争の狭間で繁栄と衰退を繰り返すが、1822年、ジョージ4世がスコットランド地方の民族衣装であるタータンチェックを身にまとい宮殿を訪れたことで、両国の関係は新たな時代に突入。ビクトリア女王の命令で宮殿を追われた悲劇の女王メアリーの寝室も、保存されることになった。
イングランドとスコットランドの歴史の狭間に位置してきたホリールードハウス宮殿は、悲劇の女王や、両国を統一した国王など、激動のスコットランド史を目撃してきた。歴史の裏側のエピソードや、宮殿に所蔵されている貴重な宝飾品の数々を紹介しながら、スコットランド、さらにはイギリスがいかにして形成されたのかひもといていく。