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古代文明のルーツを求めて 6 古代ローマの興亡2
私たち人類の文明はどのようにして誕生したのか――この壮大なテーマを探るため、約6000年前に最初の都市が生まれたメソポタミアから、 ローマ帝国の崩壊にいたる歴史を6章のストーリーで検証するシリーズ。考古学者であり歴史家のリチャード・マイルスが、イラク、シリア、 トルコ、北アフリカ、エジプト、パキスタンそしてヨーロッパを訪れ、古代文明の成立の過程を膨大な映像と工芸品を併せひも解いてゆく。 古代の驚異と失われた世界が、現代の文明の紛れもないルーツであることが分かる。
今回は前回に続き、古代ローマの興亡について紹介する。
強大な力の頂点に達したローマ帝国は領土を大きく広げ、文明の恩恵を属州に住む市民と臣下に及ぼすようになった。やがてローマという 秩序の恩恵を受けた彼らは、人間として生きることの意味を問いかける余裕を持ち始めた。そんな問いに対し、実用的なローマ的信仰が十分に 納得のできる答えが出せない中、成長していった宗教、それがキリスト教であった。人間の都市が、神の都市の陰に隠れていったのである。
シリーズ最終章は前回に続き、考古学者であり歴史家のリチャード・マイルスが、ローマ帝国の興亡を考察する。強さの頂点に達したローマ帝国は、 領土を西はハドリアヌスの壁、東はユーフラテスの土手にまで広げ、その文明の恩恵を属州に住む6000万人の市民と臣下にも及ぼすようになった。 狂人、悪人、そして危険な皇帝の支配した時代でさえ、帝国という体制は辺境を支配していたいくつかの特権的一族によって支えられ、頑強であった。 それらの一族は文化的、経済的、そして軍事的に帝国に忠誠を尽くしていた。
しかし、ローマの支配がもたらした良き秩序の物質的恩恵を受けた市民と臣下たちは、生きることの意味をめぐる深い疑問を安心して問うことができる ようになった。だが、実用的、多神論のローマ信仰では、十分に納得できる答えを見出すことができない問いでもあった。そんなローマの中心にぽっかりと 空いた精神的な真空状態を埋めるようにして成長したのがキリスト教であったのだ。ついには皇帝コンスタンティヌスをキリスト教最大の誉れと呼ぶように さえなってゆく。人間の都市は、神の都市の陰に隠れたのであった。