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北京 ~1000年の歴史~ 第二部 皇都の盛衰
富と権力の集まる都、北京。漢民族にとって北京の歴史は、北方からの異民族支配の長い屈辱的な歴史であった。13世紀、モンゴル民族によって一度は破壊されたが、後に元(げん)王朝のフビライ・ハンは北京を国都に定め世界に誇る都として復活させた。明(みん)王朝の時代には、壮麗な紫禁城が建造され繁栄を極めた。そして、中国最後の王朝となった清(しん)がその歴史に終止符を打った地も北京であった。
その後、中華民国の創立や王朝再興のクーデターを経て、1949年、中華人民共和国が成立するまで北京は常に政争の舞台となってきた。そんな北京に引きつけられた民族たちの栄枯盛衰の歴史をたどる。
北京の歴史は戦いの歴史である。富と権力を求める多くの者たちが、この地に引きつけられてきた。
13世紀、中国征服をたくらむモンゴル民族の王チンギス・ハンは、金(きん)王朝の都城・中都と呼ばれた北京の地を攻め落とし、焼き払った。しかし、その孫のフビライ・ハンは、焼き払われた地を元(げん)王朝の国都として7年をかけて再建、当時としては世界最大規模の都を築き上げた。
14世紀に興った明(みん)王朝は都を北京と称し、壮麗な紫禁城を建造した。さらには、モンゴル勢の報復に備えて万里の長城の修復も行っている。
しかし、明の敵は内にいた。17世紀、農民の蜂起(ほうき)を機に国内は混乱した。それに乗じて来襲した満州人に国を乗っ取られてしまう。その満州人が打ち立てた清(しん)王朝も、19世紀に入ると国内の政治腐敗が進み、混乱に乗じて海外列強につけいられ、滅亡への道をたどることになる。
中国王朝の歴史が幕を閉じ、中華民国が創立されても、王朝再興のクーデターが起きるなど政局は安定しない。そんな中、新政府に反感を持つ共産党勢力が次第に拡大し、1949年、ついに毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言する。その舞台もやはり北京であった。