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ストーリー

北京 ~1000年の歴史~ 第一部 民族の興亡

東に海、西に山を臨む北京は、古来より人類を引きつけてきた――有史以前、北京原人は天然の要塞(ようさい)に守られ暮らした。秦(しん)の始皇帝は、異民族である匈奴(きょうど:遊牧騎馬民族)の侵略を防ぐ要所とした。
しかし、漢民族にとって北京の歴史は北方からの異民族支配の長い屈辱的な歴史であった。中国征服の拠点とした遼(りょう)王朝の契丹族(きったんぞく)や金(きん)王朝の女真族(じょしんぞく)。北京を国都に定め、都市基盤を整備した元(げん)王朝のフビライ・ハン。紫禁城を建造し、繁栄を極めた明(みん)王朝。そして、この地で滅びた最後の王朝・清(しん)など。
未開の地だった北京がこの千年を通していかにして現在のような発展を遂げたのか――その裏に隠された民族興亡の歴史をひも解く。

今や世界一の人口を誇る中国の首都・北京。地方の1都市が、なぜここまで発展したのか。その裏には多くの民族の興亡の歴史が隠されていた。
東に海、西に山を臨む北京は、古来より天然の要塞であった。有史以前には、中国人の祖先と信じられてきた北京原人もこの地に守られて進化を遂げた。中国を初めて統一した秦(しん)の始皇帝も匈奴(きょうど:遊牧騎馬民族)からの攻撃を防ぐ要所として、この地を重視した。
しかし、漢民族にとって北京の歴史は、北方からの異民族支配の長い屈辱的な歴史であった。北方民族が興隆して、その後も遼(りょう)王朝の契丹族(きったんぞく)や金(きん)王朝の女真族(じょしんぞく)など、北京の地を拠点に中国征服をもくろむ民族の興亡が繰り返されたが、13世紀、モンゴル民族のフビライ・ハンが元(げん)王朝を築くと、北京の地は国都となった。フビライは古代中国の様式にのっとり、都市を碁盤の目状に整備し、水と食料を確保すべく人口湖や運河を造成。かくして未開の地が大都市としての機能を備えるに至ったのである。14世紀には明(みん)王朝が興り、永楽帝の御世に壮大な紫禁城が造られた。以降、24人の皇帝が北京を政治の拠点とした。
17世紀、満州人が清(しん)王朝を打ち立てても、北京は国都として残った。都の北部に建設された頤和(いわ)園(えん)は、ラストエンペラー溥儀(ふぎ)失脚のその時まで、執政所兼王族の住居として使われることになる。