百年名家~築100年の家を訪ねる旅~

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広島・尾道 前編~瀬戸内豪商の別荘庭園を訪ねる~

今回の『百年名家』は、広島・尾道の旅。

瀬戸内海に面した海運都市・尾道の歴史は平安時代にまでさかのぼります。わずか200〜300mほどの狭い尾道水道の地形が、天然の良港となり発展の礎となりました。 八嶋さんと本上さんは、商都として時代を築いた尾道の歴史を辿りながら旅を始めます。

2人はまず、かつての中心街「旧西国街道」を訪れました。 尾道には、下関から京へ上る西国街道が東西に通り、さらに出雲街道が北へ伸びています。出雲街道は石見銀山へ続いており、産出した銀は尾道で船に積み込まれて大阪や江戸へ運ばれました。東西南北物流の交差点に位置したため、尾道は流通の要衝として栄えたのです。それぞれの街道沿いには今も往時を偲ばせる町並みが残され、街道から枝分かれする小路(しょうじ)は人がすれ違うのがやっとというほどの狭さ。これらは江戸時代の区割り図にも記されており、当時の姿を留めていることが伺えます。

次に向かったのは江戸時代、尾道の発展に尽くした豪商の茶園(さえん)。この茶園を建てた橋本家は、江戸時代に埋め立て事業を手がけ、現在に続く町並みの基礎を作り、明治期には広島県内初の銀行の頭取を務め、広島経済界を支えるほどの存在でした。そんな豪商の庭園には、海運都市ならではの遊び心が盛り込まれています。海から客人を招く「船着(ふなつき)」や、潮汐の変化で表情を変える庭池、竜宮城を想像させる「亀石」など、当時の豪商のこだわりが見て取れます。そして、尾道市重要文化財に指定されている茶室は1850年の建造。千利休の手による国宝「大山崎妙喜庵・待庵(京都)」を模して建てられました。尾道の茶の湯文化を伺い知ることができる貴重な建築物です。

海運で栄え、明治時代にはいち早く銀行を設立し、金融の街としても栄えた尾道。当時は県庁所在地を尾道にする案もあったというほど、瀬戸内経済の中心でした。そこで2人はかつての金融街、「銀行浜」を巡りました。「旧尾道銀行本店」は1923年(大正12)築の尾道市重要文化財。鉄筋コンクリート2階建て(一部木造)で、入口には切石を積み上げてあります。建物の中に入るとそこには巨大な金庫が残されていました。

続いて向かったのは、明治後期に建てられた家。街道から一歩奥まった高台に建てられています。この頃から尾道の豪商たちは、山の斜面地に別邸を構える贅沢を楽しむようになりました。建物は尾道建築の特徴のひとつ「洋館付き住宅」。木造和風建築でありながら一部に洋館を設けるというもので、内部も和室と洋室が混在するユニークな造りになっています。三階建ての最上階は客をもてなした客間で、尾道三山のひとつ千光寺山の四季折々の表情を楽しむことが出来ます。 この部屋でお茶を嗜んだ二人は、かつて尾道の豪商たちがこだわった粋な遊び心に思いを馳せました。