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2013年8月9日・8月30日放送
2014年7月4日放送
「遺す×屋久島」
そこは、神秘の島でした。大きく深呼吸をすると、身体の隅々まで清らかな気持ちになる苔むす深い森。人類共通の財産として登録される世界遺産。今年、富士山が新たに加わり、日本の世界遺産の数は17になりました。京都や奈良、熊野や、白川郷は、世界文化遺産。日本の文化を伝える歴史的な建築物や遺跡として認定されました。一方で、美しく希有な自然が普遍的な価値をもつとして認定されるのが世界自然遺産です。そんな世界遺産に日本で初めて登録された場所、それが屋久島。
面積の9割を占めるのは、森。島の中央には、九州最高峰の宮ノ浦岳をはじめ、標高の高い山々が連なります。水の島とも呼ばれる、屋久島。黒潮が運ぶ湿った空気は島をかけあがり高い山々にぶつかって、大量の雨を降らせます。海岸沿いは一年中温かく、亜熱帯植物が競い合うように枝を伸ばします。一方で、針葉樹が育つ標高の高い山の頂き付近は、冬、深い雪に覆われます。1つの島で北から南の植物を見ることができる日本の自然の縮図、屋久島。類い稀な環境と生態系は、世界的にも貴重とされ世界遺産に登録されました。
島の東西にある、白谷雲水峡。光を好む屋久杉は、地面よりも日当りのいい切り株や倒木の上に成長します。「切株更新」といわれ、屋久島の植物によく見られる世代交代の形。屋久島では、千年以上生きたものだけを「屋久杉」とし、それに満たないこの杉は「小杉」と呼ばれます。風化しにくい花崗岩でできた屋久島に土はほとんどなく、栄養分もありません。にもかかわらず、植物が生きていけるのは絶え間なく降り注ぐ雨のおかげ。樹齢およそ1500年という屋久杉の古い切り株。幹や枝に生えた苔をベッドに、いくつもの種類の植物が育っていました。この奇跡の島で、命を育むために欠かせない大切なもの。それは・・・島の表面を覆い尽くす、苔。日本に生息するおよそ3分の1の苔が育つ屋久島。
山の裾野にひろがる、永田集落。山岳信仰が根付いている屋久島。自然とかかわり合う里の暮らし。海とも深いつながりがありました。世界でも有数のウミガメの産卵地、永田浜。
夜。ウミガメが上陸するのは、辺りが暗くなってから。暗闇を味方につけ、卵を天敵から守ります。いまや、絶滅の危機に瀕しているウミガメ…。一生のほとんどを太平洋の海で過ごしますが、産卵のため、はるかメキシコ湾から泳いでくるともいわれます。いよいよ、産卵です。ピンポン玉ほどの大きさの卵。一度に生むのは100個あまり。生み終わると、後ろ足を器用に使い、卵がつぶされないように踏み固めます。さらに前足で、卵を産んだ場所がわからないように砂をならします。上陸からおよそ1時間。大きな仕事を終え、再び海へと帰ってゆきます。何万年も前から、この命の循環が屋久島の浜では、繰り返されてきました。そして今、様々な取り組みが行われています。今日は、水族館で1年間育てた子ガメを海へ放流する日。子ガメたちが歩き出しました。迷う事なく、前へ前へと進みます。このウミガメが、産卵のため、再び戻ってくるのは30年後・・・。そのときも、美しい浜であるように…私たち人間に課せられた責任は大きいのかもしれません。
木漏れ日が差し込む森の中、木と生きる人がいます。屋久島生まれの山路さん。以前は、「山師」と呼ばれる、林業の仕事に携わっていました。世界遺産となった今、屋久杉は伐採できませんが間伐や、古い木の運搬など山の整備が主な仕事。現在は、森のガイドを務めています。ここから、山師たちが、江戸時代に木を切り出していたという山の奥を目指します。忽然と現れたのは、大きな切り株。土埋木(どまいぼく)といわれる木です。この木は江戸時代に切られた屋久杉の切り株のこと。さらに森の奥深く。たどり着いたのは江戸時代の伐採跡地。伐採が本格的に行われたのは、江戸時代からでした。土地が狭く、作物も多くとれなかった屋久島。薩摩藩から言い渡されたのは、ヤクスギを年貢のかわりに納めることでした。明治になると屋久島の森は国有林化され、大正時代には伐採されたヤクスギを搬出するため森林軌道が敷かれました。そして戦後、高度経済成長とともに木材の需要が高まり、大量伐採が始まったのです。存亡の危機に瀕した森。一切の伐採が禁止されたのは、今からわずか31年前のことでした。
森と深くつながって暮らす人が、里にもいました。屋久杉を使ってさまざまな作品をつくる屋久杉工芸家、中島さんです。使うのは江戸時代に伐採された切り株、土埋木。腐りにくく耐久性にすぐれ、古くから建築材として重宝された屋久杉。中島さんの工房では、屋久杉の箸造りを体験できます。この箸一本分に、屋久杉の生きた千年のうちおよそ30年分の年輪がつまっているといいます。
屋久島が日本初の世界遺産に登録されて以来20年。島本来の自然の姿が失われつつあります。この島で生まれ育った柴さん。愛する地元の森を自分たちの手で守ろうと屋久島の自然保護運動に半生を捧げてきました。今、世界遺産の名の下にあまりにも多くの人が訪れ島の姿が変わることこそ屋久島最大の受難だと感じています。そんな思いから、復活させたのが、一度は途絶えていた島の伝統行事、「岳参(たけまい)り」。山の神に海の恵みを届けて、豊漁や里の暮らし、無病息災を祈る。神、自然への祈りは暮らしと深くつながるものだったのです。
白谷雲水峡
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送陽邸
〒891-4201 |
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NPO法人屋久島うみがめ館
〒891‐4201 |
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杉の舎
〒891-4207 |