ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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7月18日(土)ゲスト: 萩原健一(俳優)

日本の芸能界において、唯一無二の存在として一時代を築いたカリスマ萩原健一。ボーカリストとして、俳優として常に尖った刃のような存在感を放ち、多くのファンを魅了してきた。一癖も二癖もあると言われる萩原健一。南青山の老舗ライブハウスでインタビューは行われた。

負けん気の強かった中学生の萩原は、ダイケンと呼ばれる高校生の大番長、そしてチューケンと呼ばれる副番長にもケンカで一歩も引かなかった。彼等はその勇気を認め萩原を「ショーケン」と任命。萩原健一のショーケンとしての人生が始まる。

1967年、GSブームの最盛期に萩原は、ザ・テンプターズのボーカリストとしてデビューする。しかし、アイドル的な扱われ方に不満を持ち、その活動の場を映画やドラマの世界に求めていく。俳優ショーケンを人々に鮮烈に焼き付けたのは、1972年のTVドラマ「太陽にほえろ」。新人刑事マカロニに扮した萩原の存在感は圧倒的であり、その殉職シーンはTVドラマ史上屈指の名シーンとなった。その殉職シーンのウラ話、そして石原裕次郎との思い出を萩原は語る。
続いて放送された「傷だらけの天使」は主演の萩原を始め、監督やカメラマンといった、現場スタッフの低予算を逆手にとったアイデアの上に成り立っていたと言う。何故、水谷豊演じるあきらの入れ墨は金魚だったのか?何故BIGIの衣装を着ていたのか?今あかされる伝説のドラマの舞台裏。
「ショーケン」という存在は、日本の映画界においても無くてはならないものである。中でも黒澤明監督の「影武者」は萩原にとって印象深い。馬に乗り海岸沿いを疾走するシーンで馬もろとも転倒し海に投げ出された時、「馬は大丈夫か?」と言った黒澤監督。「アタマきたよ!」と笑いながら萩原は振り返る。

しかし、萩原の人生は栄光ばかりではない。様々な事件で世間を騒がせ、仕事を干された日々もあった。そんな彼が懺悔のために選んだ手段は、四国八十八箇所を巡るお遍路。都会を離れ白衣に身を包み、ひたすら歩き続ける日々。16歳で芸能界に入り、その奔放なキャラクターでカリスマ的な存在となった萩原健一、お遍路という修業は彼に、本来人が持つべき心を教えてくれたと言う。

2011年にモデルの富田リカと結婚。今年は夫婦揃ってモルジブの親善大使にも任命された。萩原は青い空と海の素晴らしさに感動し、環境問題に力を入れていきたいと言う。

やんちゃな不良だった男がまもなく65歳という年齢になる。しかし彼は最後に言う。「今、新しい映画の脚本を書いているんだ。何かやりたいなら自分で動かないとね」

7月19日(日)ゲスト:堀内孝雄(歌手)

歌手、堀内孝雄。歌手活動を開始して44年・・・。「アリス」として人気を博すも、ソロ活動転向後は雌伏の時期を経験。全くレコードの売れない時さえもあった。しかし過去の栄光に縛られることもなく、今年65歳になるまで、自然体に、誠実に「堀内孝雄」を歌い上げてきた。なぜ堀内は諦めることなく歌と向き合い、現在まで歌手人生を歩み続けることができたのか?

1949年、大阪・阿倍野区で食堂を営む両親のもと、3人兄弟の末っ子として生まれる。少年時代、店の棚に置かれたラジオから流れる歌謡曲を覚えては、歌っていたという。中学時代、ビートルズとの出会い衝撃が走る。当時のエレキブームやGSブームも相まって、音楽に夢中になっていったという。

大学時代にはアマチュアバンドを結成し、プロを目指して活動。そして神戸のアマチュアバンドサークル「ポートジュビリー」で後の盟友、谷村新司と運命の出会いを果たす。1971年、谷村の呼び掛けのもと、二人は「アリス」を結成、のちに矢沢透が加わり、現在の「アリス」のかたちで活動する。しかし結成から6年間、アリスは泣かず飛ばずの時期を過ごしていた。そこに生まれた名曲『冬の稲妻』。実はこの曲の一翼を担ったのは、ある国民的歌手だったという。

その後『ジョニーの子守唄』、『秋止符』などのヒット曲を飛ばすが、これらの作曲は堀内によるもの。アリス当時、ソロとしても活動していた堀内は『君の瞳は10000ボルト』が100万枚を突破する勢いも見せ、“作曲家”としての顔も確立する。そんな堀内は、普段どのように作曲を行っているのか?人々に受け入れられる曲が生まれる秘密を教えてくれた。

アリス活動停止からおよそ5年間・・・。堀内は勢いを失い、雌伏の時期を過ごすことになる。萩本欽一、小椋佳、荒木とよひさ、現在の所属事務所会長…、数々の人との出会いの中で堀内は自分の歌の方向性を見つける。アリス時代の栄光について「そんなものどうでも良いプライドなんですよ」と栄光を捨て去ることにためらいを持たない。その柔軟な考え方は、ジャンルを越えた歌を歌うことに通じていく。『愛しき日々』『恋唄綴り』・・・。アリス時代とは違った曲調で、新たな境地を展開した堀内は、再び人気を得ていく。

今年66歳。実は3人の息子の父でもある堀内。現在は、息子がバンドを結成し活動。先輩として、そして父親として何を思い、歌を繋いできたのか・・・。堀内流の子育てについても語ってくれた。