ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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7月11日(土)ゲスト: 柳家小三治(噺家)

噺家・柳家小三治。人間国宝。どんな人間なのか―。
75歳にして年間約200回の高座に上がる小三治。高座の直前は、常に緊張感を身にまとう。前座の噺家の演目、それを聞く客の反応、そして自分自身の状態。全てを見極め、彼は高座に上がる直前にその日の演目を決める。楽屋では、その日の出し物、手ぬぐいや着物の帯の色、湯呑みの向きまで、最善を熟孝し、決して妥協をしない。全てはその日の客を楽しませるため―。
そこにはベテラン噺家の、落語に対するこだわりと極意があった。

古典落語を継承する人として、その芸に評価を受ける一方で、小三治は落語ファンの中で「マクラの小三治」と形容されることがある。それは落語の導入部分、「マクラ」と呼ばれる噺が抜群に面白いという評価から。
松岡修造は今回の対談に先立って、小三治の落語を聞きに寄席に足を運んだ。そしてその日のマクラは松岡の専門分野であるテニスの話題。しかも話題は「錦織圭」―。
錦織圭に対し、強い興味を示す小三治。収録当日も、未明まで試合中継を観戦していたという。その熱心さに松岡は感激。この日の対談のマクラも「錦織圭」で始まった―。

師匠の五代目・柳家小さんのもと、異例のスピードで真打に昇進、常に第一線で芸を極め、昨年、落語界で3人目の重要無形文化財保持者に認定された。順風満帆に見える小三治の噺家人生だが、それは大病との闘いの日々でもあった。
51歳のときに発症したリウマチ―。
その脅威に、一時は噺家としての未来が見えなくなったこともあるという。いまも薬を摂取しながら高座に上がり続ける日々。なぜ彼はそんな状態でなお、現役にこだわり続けるのか。そこには飄々とした語り口とは裏腹に、伝統芸能を受け継ぐ人間としての覚悟と熱い思いがあった。

そしてスキーにバイク、音楽にカメラ…、多趣味で凝り性な小三治。意外な一面が明らかになる。収録場所は年代物スピーカーでクラシック音楽を聴かせる名曲喫茶。無類のクラシック好きの小三治は5000枚のレコードの中からブラームスを選曲。人間国宝と熱血インタビュアーの二人が、奇妙な音楽鑑賞会を繰り広げる。
“孤高の噺家”、“人間国宝”、柳家小三治に松岡修造が迫る。

7月12日(日)ゲスト:藤あや子(歌手)

歌手・藤あや子。NHK紅白歌合戦20回出場!秋田美人で妖艶な魅力を持つ藤だが、デビューは28歳と遅咲き。紆余曲折あった演歌の道への軌跡を辿る。

秋田県・角館で生まれた藤は、子供の頃、山口百恵などのアイドルに憧れていた。そんな少女が出会ったのは、秋田県角館の飾山囃子。山車の上で民謡を歌い踊る姿をみて「わたしもあそこに立って、歌って、踊ってみたい」と民謡を習い始める。
努力の甲斐あり、秋田ではトップクラスの民謡歌手となった藤。しかし、東京から一流の歌手がやってくればその前座。同じぐらい唄はうまいはずなのに、拍手の大きさが違う。メジャーとマイナーとの間に感じた苦悩。そんな藤が出会ったのは、演歌界の重鎮、作詞・作曲家の猪俣公章。「東京に来てデビューしてみないか?」という言葉をもらう。しかし、思うようにはいかなかった。その訳とは?

デビュー10年目を迎えた藤がぶつかった壁。毎日、多忙なスケジュールをこなす中「なんのために歌っているのだろう?」どこかで歌わされているという意識、大好きだった唄が嫌いになりかけた。「引退」の2文字が頭をよぎった。そんな時に出会った曲が「雪深深」。この曲を歌うために私は歌手になった!そう思える名曲との出会い。その熱い思いを藤が語る。

そして、大先輩・島倉千代子との意外な関係。唄には厳しい先輩だったが、時には、放っておけない娘のような存在。藤が勝負時に身につける島倉の形見の品があった。紅白初出場を果たした藤に、島倉が渡した驚くべきものとは?

そして、時代はまさにクール・ジャパン。これからの演歌は世界へ向けて!インタビュアー嶌のゴリ押し提案に、藤が見せる反応は!?
美人演歌歌手に隠された意外な真実、そして、紆余曲折があった演歌への道。藤あや子の本音と素顔がじっくりと見られる充実の60分!