昭和を生きた日本人にとって1964年は忘れられない年ではないだろうか。
当時、敗戦の瓦礫の中から立ち上がり、高度成長を遂げつつあった日本。
その発展のシンボルとも言える東京オリンピックが開催された年である。
日本国民にとっての東京オリンピックとは……アジア初のオリンピック開催という歴史的意義だけに留まらず、結果的に当時の日本人の心を昂揚させる一大イベントとなった。
そう、猪熊功らの柔道勢をはじめ、レスリング、水泳などで日本人選手が多くの金メダルを獲得したのである。
その快挙は日本中を湧かせ、敗戦から復興を成し遂げつつあった国民の背中を押すことになったのだ。
そして同じ年の11月、ひとつの歌が生まれた。
美空ひばりの「柔」である。
柔道の総本山「講道館」を描いたテレビドラマの主題歌として世に出たこの歌は、当時テレビドラマの主題歌はヒットしないと言われる中、僅か半年足らずで180万枚の大ヒットとなり、同年の日本レコード大賞を受賞。さらに美空ひばりは、この曲で紅白歌合戦のトリを飾った。
そう「柔」こそ、美空ひばりの数あるシングル曲の中でも、最高売り上げ記録した、まさに歴史に残る大ヒット曲なのである。
ここ疑問が浮かぶ。
美空ひばりの歌の中でも、「柔」がここまでのヒット曲になったのは何故なの?
女王・美空ひばりの歌声の賜物か?
柔道という日本人向けのテーマか?
それとも"時代"のおかげか?
番組は、単なる流行り歌ではなく、国民的な愛唱歌として親しまれている「柔」のヒットの謎に迫る。
さらにこの歌にかけた美空ひばりの知られざるエピソードを公開。
「柔」を歌う際には、男装してステージに立つことが多かったという美空ひばり。
女王ひばりがこの曲に込めた思いとは?
♪勝つと思うな 思えば負けよ
この一節が日本人の心に響くのは何故なのか?
誰もが未来に希望を抱き生きていた、60年代に生まれた歌。
その歌には、昭和に生きた日本人の思いが反映されているのではないか?
その謎を紐解くことで、「柔」の生まれた時代、そしてあの頃の日本人が抱いていた熱き思いが明らかになる……。
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