ベストヒットUSA

■ 9月11日(土)・9月14日(火)のゲスト
アシュリー・シンプソン
現在19歳のアシュリーはアメリカでは目下、「セヴンス・ヘヴン」というティーン・エイジャーの間で絶大な人気を持つ連ドラの"セシリア"役で注目を集めている。もともと11歳でスクール・オブ・アメリカン・バレエ史上最年少の合格者となり、13歳の時、家族でLAに引越し、女優、そして最終ゴールの歌手にむけての夢の道を歩き出した。あのジェシカ・シンプソンの妹で、注目度もバツグン!!アシュリー本人が「私はいつも音楽に取り付かれているのよ。私は姉(ジェシカ)とは全く違ったテイストを持っているのよ」と主張する通りサウンドはジェシカとは異なるロック・サウンド!

「ピーシズ・オブ・ミー」
全米ナンバー1デビューを飾ったデビューアルバムは、アシュリーの永遠のアイドルであるジョーン・ジェット、ジャニス・ジョップリン、スティーヴィー・ニックス、パット・ベネター、プリテンダーズ、ブロンディーからフィオナ・アップル、ホール、グリーン・デイが反映されている音となっている。デビュー・シングルとなる「ピーシズ・オブ・ミー」は、アシュリー曰く、"ため息のような曲。親友に出会うと、その日の嫌な事を全部わすれちゃう、そんな人の存在を歌ったの"。とのこと。
■ 9月18日(土)・9月21日(火)の特集
レイ・チャールズ
1930年、米ジョージア州のスラムに生まれる、3歳頃からピアノを始める。7歳で失明し、10歳の頃に父を15歳で母を亡くす。教会音楽のゴスペルと、黒人のルーツ音楽のブルースを土台にした独自な歌唱法を発展させ、54年「アイ・ガット・ウーマン」を発表。その後「愛さずにはいられない」やジョージア州歌となる「我が心のジョージア」などのヒットを連発。86年には「ロックの殿堂」入り。グラミー賞を12回受賞。 日本では「いとしのエリー」を英語でカバーした「エリー・マイ・ラブ」(89年)が大ヒット。6月10日(日本時間11日)、肝不全のためロサンゼルス・ビバリーヒルズの自宅で死去した。73歳だった。

「クレイジー・ラブ」
1970年の名作『ムーンダンス』に収められていたヴァン・モリソンの"クレイジーラヴ"のライヴ・ヴァージョン。フィル・ラモーンがプロデュースしてケーブル・テレビで放映されたソングライターズ名誉の殿堂の授賞式で録音されたもの。モリソンのたっての願いでチャールズは、この授賞式に出席し、モリソンに賞が手渡されたあと、2人でこの曲をデュエットし、観客を喜ばせた。
■ 9月25日(土)・9月28日(火)のゲスト
ブルース・エクスプロージョン
85年にワシントンD.C.で結成されたプッシー・ガロアからジョン・スペンサーのキャリアはスタート。その後、ハネムーン・キラーズ、ボス・ホッグ、ギブソン・ブラザースといったバンドを経て、ラッセル、ジュダと出会い、92年にザ・ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンを結成、デビュー。
翌93年、Matadorに移籍、94年にアルバム『Orange』のヒットによりシーンから大きな注目を集める存在となる。翌年には初来日公演も果たした。 96年には『Now I Got Worry』さらに98年にリリースした『Acme』でも高い評価を得て不動の人気に。

「バーン・イット・オフ」
新しいアルバム『ダメージ』は2002年リリース『プラスティック・ファング』以来2年ぶり8枚目、バンド名を"ブルース・エクスプロージョン Blues Explosion"に改めて初のアルバム。ジョンとジュダのギターとラッセルのへヴィなドラムから生まれる、先鋭的かつストレートなロックン・ロールと彼らの持つ圧倒的なカリスマ性は日本でも大きく評価されている。この『バーン・イット・オフ』もとてもパワフルな楽曲なのである。12月にはジャパン・ツアーの予定で、唯一無二とも言える先鋭的かつファンキーでストレートなロックン・ロールは、他の追随を許さず、圧巻のライヴ・パフォーマンスもバンドの大きな武器となっている。
■ 10月3日(日)・10月5日(火)のゲスト
SUM41
カナダが生んだポップ・パンク界の風雲児。4人組。結成は96年頃、地元カナダ・トロントでハイスクールに通っていた当時の彼らは、ワープト・ツアーを観に出掛けたことがきっかけでバンドを組む。97年にはスティーヴが加入、99年にコーンが加わり現メンバーの体制となる。トントン拍子でメジャーとの契約が決まり、デビューEP「ハーフ・アワー・オブ・パワー」を発表。01年に1stアルバム「オール・キラー・ノ・フィラー」をリリースすることになる。セカンド・アルバム「ダズ・ディス・ルック・インフェクテッド」は日本でも30万枚を超える大ヒット。今年のサマーソニックにも来日し、彼らの人気は不動のものと再確認させられる絶頂のライヴを披露したばかり 。

「CHUCK」
新作制作中に、コンゴで戦争に巻き込まれてしまうという惨事に遭ってしまったSUMのメンバー。ホテルの目の前で戦闘は勃発し、マシンガンやロケット弾が飛び交うなか彼らはホテルで丸2日間戦争という極度の恐怖を実体験した。幸い、国連ボランティアの"チャック"という男性がSUM41を含む他の宿泊者40名ほどを救出した。『チャック』というアルバム・タイトルが決定したのはこのような経緯がある。このアルバムのリードシングル「We're all to blame」はこの恐怖体験後に完成した曲であり、その緊張感は必聴!
■ 10月10日(日)・10月12日(火)のゲスト
リチャード・マークス
1963年9月16日シカゴ生まれ。ソロ・デビュー前から、ライオネル・リッチーのバックアップ・シンガーを務める。1987年からは、ソロとしてのキャリアをスタートさせ、「サティスファイド」(全米1位)、「ライト・ヒア・ウェイティング」(全米1位)、「ナウ・アンド・フォーエヴァー」(全米7位)など大ヒットを連発。近年はプロデューサー、作曲家として、イン・シンク、ジョシュ・グローヴァン、ルーサー・ヴァンドロス、ケニー・ロジャース、ナタリー・コール、バーブラ・ストライサンドなど、多くのアーティストと仕事をともにしてきた。そして、ついに今年、ルーサー・ヴァンドロスとの共作「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」でグラミー賞ソング・オブ・ジ・イヤーを獲得。「最高の美メロ・メイカー」リチャード・マークスの名の復活を全世界にアピールした。

「ウェン・ユー・アー・ゴーン」
ニューアルバム『マイ・オウン・ベスト・エネミー』からの全米ファースト・シングル。アルバムはデヴィッド・コールを共同プロデューサーに迎え、多忙な合間を縫って、ナッシュヴィル、L.A.,そしてリチャードの自宅スタジオ(イリノイ州)で行われた。「ウェン・ユー・アー・ゴーン」は、キース・アーバンの熱いギターソロと、来るべき喪失を歌う巧みな歌詞 (♪「僕をごらん すべてを手にした男を / 自分にふりかかる災いの兆しを読み取ろうとしているのさ」) がフィーチャーされている。
■ 10月17日(日)・10月19日(火)のゲスト
アニタ・ベーカー
常に音楽の中心地として知られるミシガン州デトロイト生まれ。教会で歌い始め、デトロイト周辺の様々なグループに加わる。チャプター8に参加し、80年代初期のヒット「I Just Wanna Be Your Girl」を飛ばす。それからソロになり、名曲のコレクション『ザ・ソングストレス』をレコーディング。エレクトラ・エンターテインメントと契約し、10年間で『ラプチュアー』などの名盤を生み出す。通算8つのグラミー賞を受賞。二人の息子を育てるため、この10年ほど活動を休止していたが、ブルーノート・レーベルから『マイ・エヴリシング』で復活。

「マイ・エヴリシング」
アニタのクリアで豊かな素晴らしいアルトを堪能できる。プロデューサーは、長い付き合いの音楽ディレクターであり、音楽業界の重鎮でもあるバリー・イーストモンド(アルバムのほとんどの曲も彼がプロデュース)。この曲はどこか懐かしく、第2ヴァースに移る頃には一緒に歌い出したくなるほどだ。野外コンサートに座って、こんな素敵な日がずっと続けばいいのにと思いたくなるような、心温まる夏らしいラブソング。
■ 10月24日(日)・10月26日(火)のゲスト
ファットボーイ・スリム
本名ノーマン・クック。あちこちでDJをやりながらも、音楽活動の始まりはハウスマーティンズでのベーシストとして。やがてバンドは解散。何種類もの名前を使い分けてレコード制作をしていたノーマンは95年にルイジアナ出身のブルーズ・シンガーから名前をとり、「ファットボーイ・スリム」としての活動を本格化。98年にデビュー・アルバム「better living through chemistry」を発表。ここ日本では"ロッカフェラー・スカンク"が収録されている2ndアルバム「You've Come A Long Way, Baby」で大ブレイク。今年9月に待望の4thアルバム「Palookaville」を発表。DJの最高峰とし今も君臨し続けている。

「Slash Dot Dash」
ノーマン曰く「この曲はスリムの古い部分と新しい部分をミックスしたような作品。現代の新しい言語体系を持った人々につていの曲。」リズムの反復と生のギター・サウンドがとにかく絶妙でたまらない1曲。気になるPVはThe Cureの一連のミュージック・クリップで評価の高いTim Pope(ティム・ポープ)。今回の作品は氏にとって約10年ぶりの作品でもある。
■ 10月31日(日)・11月2日(火)のゲスト
デュラン・デュラン
史上最大のポップ・ロック伝説を築き上げた5人が、今、19年という歳月を経て再び集結!デュラン・デュラン、オリジナルメンバーにて完全復活!1980年代、あらゆる「伝説」を手に入れたデュラン・デュラン。"ファブ・ファイブ"と呼ばれ全世界に熱狂を巻き起こし、アルバムを7000万枚以上売り上げた英国出身の5人組。

「(リーチ・アップ・フォー・ザ) サンライズ」
25年を超えるキャリアにおいて数度のメンバーチェンジを行ってきた彼らだが、1983年リリースのマルチ・プラチナム・アルバム『セヴン&ザ・ラグド・タイガー』以来初のオリジナルメンバーにより新作されたのがこの『アストロノート』である!アルバムに先行して発表された新曲「(リーチ・アップ・フォー・ザ)サンライズ」はアメリカでは初登場3位、イギリスでは初登場5位と、アルバム発表を前に全世界的に驚異的な熱狂をもって受け止められている。