体操・内村航平のキセキ~母が語る23年間~

体操・内村航平のキセキ~母が語る23年間~

放送内容


【母・周子さんの「子育て」】

体操選手だったご両親が、借金をしてまで作った体育館兼自宅。ここで航平選手は、3歳の頃から自然と体操をするようになった。
ご両親は決して無理強いさせず、いつも楽しく遊ばせるようにしたという。
そんな遊びの延長線上に周子さんが力を入れる「右脳トレーニング」のプログラムもあった。

「たとえば絵本をパッと開いて、そこになにが描かれていたか子どもに説明させるんです。 訓練を続ければ、子どもはページを丸ごと一瞬で覚えます。他にもジグソーパズルをさせたり、絵本の読み聞かせをしたり。過剰なくらい気持ちを込めて読んでました」

そしてある日…「航平が体操のビデオを繰り返し見ながら、紙に連続写真のようなコマ割りの絵を描きだしたんです。それがとても上手くて、一瞬、一瞬を正確に切り取ったようでした。技を覚えるのに効果的なやり方なんですけど、そういう才能はあったと思います」


【「食」… 航平とのコミュニケーション】

極力、自分で作った「手料理」を子供に食べさせる。教室を運営している周子さんと父・和久さん。共働きという環境で、子供たちと一緒に食事をとることが少なかった周子さんは、それでも「手作り」に拘った。
それがおやつであっても自分の手で作ったものを、手紙とともに食卓や冷蔵庫に置いておく。「食」は、親子の大切なコミュニケーションだったのだ。

高校から親元を離れ生活し始めた息子・航平。周子さんが一番心配したのは、食事だった。
「手料理」を冷凍させて、冷凍宅配便で息子に届けたほどだ。とにかく、心配で息子にべったりだった。そんな息子が、突然「もう、応援に来ないで…」と言ってきたのは大学生の時。周子さんは、悲しくて泣いたという。

「自分も子離れしなくては…」。一時、疎遠となったが、今では「母さんの好きにして」と、元の親子関係に戻った。今の親子関係も、親離れ・子離れがあったからこそ…


【母・周子さんの「子育て」】

おさげ髪とちょっと派手な服装で応援する周子さんは、ちょっとした有名人だ。
しかし、その応援は半端ではない。選手たちと一緒に戦っているのだ。息子・航平だけではない。
体操チーム全員を、選手団全員を応援しているのだ。 ただ、周子さんは言う。

「オリンピックは二の次。息子が元気に生きていてくれるだけでいい」。
「どんなに忙しくても、子供が声をかけて来たら、必ず話をしました。
〝今、忙しいから、あとでね〟とは、一度も言ったことはありません。忙しければ、忙しいほど、そうしなければならないと私は思うんです。」
子供たちに〝無償の愛〟を注いできた周子さん。

子供たちにとって正しい接し方もしてきたし、良くない接し方をしてきたかもしれない。
それでも、今がある。
「子育てに、間違いなんてないんです。子供たちを愛してあげればいいんです」

【内村家の信条】



トップページへ