よみがえれ!東北

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放送内容

2011年12月29日(木)放送】
よみがえれ!東北 ~取り戻したい、故郷(ふるさと)を~

震災から半年。
陸前高田の美しい松林、名勝「高田松原」… 7万本の松林のうち、ただ一本残り象徴となった希望の松「高田の一本松」は半年後のいま…
海岸線の長い岩手では、震災に伴う津波の被害は甚大だった。
この地で再び、かつての暮らしを取り戻したいと願う人々の奮闘を半年間追った。

大船渡の甫嶺小学校で、被災3校合同の学校生活に希望の光が…
重茂半島の漁師さんの、復興にかける夏は…
山田町の老舗名産品「イカ徳利」の木村商店と、その仲間の取り組みを追った。
そして、ラグビーで町に元気を与える釜石シーウェイブス、震災から半年後の9月11日に、リーグ戦が開幕する。
津波に翻弄された被災地岩手の半年、その再生と希望の物語をオムニバスでお伝えする。

菊地 信平さん(63)は、自宅も事務所も被害を受け、避難所生活を続けながら写真を撮り続けました。その数およそ4万枚。そこには、釜石市の復興に向けた歩みや人々の表情が写し出されています。「元気な笑ってる写真がこの頃多いんですよ。」
同じ被災者だから撮影できた写真の数々は、貴重な被災・避難生活の記録です。
ナレーションで天海祐希さんが、一枚一枚を丁寧に紹介していきます。
菊地さんは写真を撮り続けます。街が復興するその日まで…

「日本の海風景」「日本の渚」「美しい港」で名勝として知られた大船渡市は、かつて何度もの津波にさらされた、典型的な東北のリアス式海岸を持つ港の街。津波は10mの高さに及び、中心の市街地はがれきの山に。また、地形も大きく沈むなどその風景さえもが変わってしまいました。
4月。桜の咲くころ。
大船渡市の「甫嶺小学校」には、被災した越喜来小・崎浜小、合わせて3つの小学校が、合同で授業を行っています。3校あわせて114人の生徒、3人の校長、教員32人です。1クラスに3~4人の担任がつきます。
突然 同級生が増えた入学式。戸惑いの中過ごした1学期。例年より短い夏休み。宮崎県・延岡工業の生徒たちが、イベント交流に来てくれました。
彼らのそもそもの小学校は被災し、今も変わり果てた姿をさらしています。新しい仲間と学校生活を送っていくこと以外の選択肢はありません。
甫嶺地区のお盆行事、「子ども七夕まつり」も、例年通り開催。短冊には子供らしい目線での、震災への思いと被災生活のすべてが綴られていました。

9月には、秋の運動会が開かれます。ヤブツバキの葉がきれいに輝く季節です。
震災から半年、子供たちは災害とどう向き合い、成長していったのでしょうか。
取材した子供たち先生たちそれぞれの、半年の苦労や思いが去来します。

6月、東日本大震災の津波で工場を流された岩手県山田町の水産加工業「木村商店」の木村 トシ社長(66)が自宅前で製造した商品の販売が、盛岡市で再開されました。
待ちわびた常連客らが続々と訪れ、健在ぶりを喜びました。
山田町は、リアス式海岸である二つの半島が大きく囲んだ、普段は静かな湾に面した漁業と伝統工芸の町です。しかし津波によるこの湾の海面の上昇は大きく、この街もまた壊滅的な被害を受けました。
木村商店も本店と工場が流失し、従業員1人が行方不明のまま。
木村社長はライフラインの復旧と並行し、再開に向けた準備を始めました。当初は工場跡地にプレハブを建てるつもりでしたが、仮設工場を提供する町の支援制度を知り、高台に移す事に決めました。
自宅前に仮作業所を設置し、4月下旬から宮古市の冷凍庫に保管していた材料の加工を始めました。機械が流されたため、今は全て手作りです。
高台にある木村社長の自宅は無事でしたが、目の前の家が火災で焼失。避難所に身を寄せながら「やるんだ」と自らを鼓舞しました。
8月には、町内の復活したスーパーに出店しました。
町内の商店街復興。そして「木村商店」名物 “イカ徳利”の製造再開目指して…

“イカ徳利”とは地元東北の、木村商店の伝統的な名産品。
その作り方も独特です。 社長自らに、老舗ならではの原材料の仕込から製法まで、この名産品に込めた思いを伺います。

木村社長は「従業員のためにも続けなくてはいけない。お客様には、また三陸のおいしい魚介類を味わって欲しい。」と話しています。
「木村商店 」は明治41年創業の老舗です。昔ながらの手作りで無添加、塩分控えめな味で「心温まるおふくろの味」を心がけているそうです。そして、町内の仲間たちとともに町の商店街再生に向けた取り組みも…。木村社長は今日も元気に奔走します。

社会人ラグビーの釜石シーウェイブスRFCは5月、釜石市甲子町の松倉グラウンドで本格始動しました。東日本大震災で大きな被害を受けた釜石。チームは犠牲者こそいないものの、自宅を流されたり職場が被災した選手も。何よりクラブを支えてくれた多くの市民が、悲しみと絶望のふちに追いやられました。
今こそラグビーで元気を。「北の鉄人」の決意のシーズンが幕を開けました。
冬場の体力づくりを進めていたチームは震災で活動を中断、ボランティアで救援物資の積み降ろしをしたり、子どもたちとタグラグビーをしたりと、自分たちにできることをやってきました。
市内は震災の爪あとが色濃く残っています。
釜石の港の象徴だった遊覧船の「はまゆり」。建物の上部に取り残された映像で有名になりました。保存をめぐる議論もありましたが、震災から2カ月余、解体された5月…。
高橋 善幸ゼネラルマネジャー(46)は「ラグビーを通じ、釜石に元気と勇気と希望を与えるのが使命」と話します。サポーターも今まで以上の熱い声援。
2001年4月のクラブ化から丸10年。新たなキックオフ。

社会人ラグビーの「トップイーストリーグディビジョン1」の開幕は、奇しくも震災から半年の9月11日。 地域と歩んできたラガーマンたちは、被災者の思いを胸に刻み、悲願のトップリーグ昇格へトライします。
かつて4半世紀前、松尾雄治率いる新日鉄釜石は、前人未到の日本選手権7連覇を達成しました。釜石のヒーローの象徴、所狭しと旗めく数多くの大漁旗の応援風景は、秩父宮で復活するのでしょうか。

本州最東端に位置する岩手県宮古市重茂半島。
沿岸は全て陸中海岸国立公園に指定されており、高さ100mほどの断崖絶壁が連続した奇景で有名な場所です。魹ヶ崎灯台と記念碑。この場所は養殖ワカメでは日本一の水揚げを誇っていました。
しかし、地元・重茂漁協の所属漁船の多くは津波被害で損傷し、800隻のうち残ったのは14隻だけ。漁協では中古船を購入するなどして70隻を確保。1隻に2~3世帯が相乗りして操業し、利益を分配するという「共同運営方式」に踏み切りました。
重茂・北地区の漁師、小成文博さん(33)も、津波で漁師の命である船を失いました。海に出る決意をした小成さん。最初に取りかかったのは漁船の確保。青森県の造船所から船を運んだり、中古船を修理したりと操業の準備に追われます。
7月末、今年最初で最後となるウニの口開けが行われました。震災後、初めての漁。
震災は、海底にどのような変化をもたらしたのでしょうか…
漁の調子は、果たして被災前と、同じ暮らしをこの海は許してくれるのでしょうか?
そして、漁師たちの海、三陸の海の風景は。
小成さんが、はじめて海から見た被災地に改めて感じたことは…崩落した道路、傷跡の残るかつての絶景の岸壁。その姿は漁師の目にどう映ったのでしょうか。
復興にかける、若手漁師の夏を追いました。