よみがえれ!東北

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放送内容

2011年12月30日(金)放送】
よみがえれ!東北 ~負けない気持ちで、前へ~

津波被害に加えて、福島第一原子力発電所の事故による放射能という二重苦を背負った福島。
その中でも明日を信じ、自分を信じ、地域を信じて活動している人達がいる。
そんな人達に焦点を当てて、辛苦に負けないキモチの源と、これから先を見据えた展望に迫って行く。

津波により壊滅的被害を受けた松川浦のノリ養殖。その養殖の復活に懸ける老漁師とその孫の新米漁師。
町ににぎわいを。原発事故で避難した人たちが戻りつつある原町区を盛り上げようと活動する「まちなかひろば実行委員会」のメンバーたち。
津波と原発事故により、蔵を失い故郷を失った蔵元。残っていた酵母で再起をかける。
吹奏楽の名門高校が被災。練習場の確保もままならぬ中、仲間の強い絆で逆境に打ち勝ち、全国大会へ。その苦闘の半年間に密着。

【震災後のふくしまを詩としてツイッターで発信】
震災から5日後、インターネット上のツイッターに新たなページが立ち上がりました。その主は中原中也賞受賞の詩人で、現役高校教師の和合亮一さん(42)。
最初の赴任地の南相馬市は津波と原発事故で壊滅的被害を受けました。連絡が途絶えたままの教え子もいます。
「海は詩を書く原風景だった」と話す和合さん。3月16日からずっと、震災の状況や自分の実の周りにあったことを「詩」にして発信し続け、現在約2万人のフォロワーがいます。教壇に立つ日常の姿と、ラジオ出演や講演、アーティストとのコラボなど詩人としての活動を紹介しながら、天海祐希さんが、和合さんの詩を朗読します。

【相馬市 松川浦 ノリ漁師として生きる】 
日本百景に選ばれ、風光明媚な場所として知られた松川浦。ノリの養殖では東日本有数の産地として知られていました。しかし東日本大震災による津波は、松川浦大橋を越えんばかりの高さで押し寄せ、湾内のノリ養殖場を押し流しました。
相馬原釜漁港の漁船は一部が津波から逃げ遅れ田畑や道路まで流されたものの、多くは決死の覚悟で津波を乗り越えて湾外へ避難。九死に一生を得た漁師も居ました。しかし原発事故の影響を受けて漁には出られない状態で、ノリ養殖も同様に今季の生産は中止。しかし松川浦のノリを途絶えさせないため、来季を見据えたノリの種場の維持・保全に取り組むことになりました。
伏見浩徳さん(29)は会社員を止めてノリ漁師となって約1年。漁師になったきっかけは、おじいさんである徳太郎さん(83)を引退させて楽にさせてあげようと考えたため。
現在は徳太郎さんに指導を受けて、ノリ漁師の修行中。高齢者が多いノリ漁師の中の希望の星と言える浩徳さん。松川浦の漁師の期待は熱い。

【除染ノウハウを南相馬の財産に】
福島第一原子力発電所の北に位置する南相馬市。ここは震災後、原発事故のため、警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域の3区域に分かれていました。9月30日に緊急時避難準備区域は解除となりましたが、山間部の一部が特定避難勧奨地点になっています。
7万人いた市民は原発事故直後、約5万人が市外へ避難。
地元で林業を営んでいた箱崎亮三さん。やはり原発による放射能で山が汚染されて、仕事は休業状態に。行政の中心原町区で活動するNPO法人実践まちづくりの理事長として、各種フォーラムに参加して「住民から見た南相馬」など住民目線からの復興を発表、また市民活動として放射能除染の勉強会を主催、市内の除染活動にも参加しています。
その除染活動に大きな影響を与えたのが、原町区にある産婦人科医院の高橋亮平院長。
震災後、子どもと妊婦を守るという観点から放射線量の測定に力を注いできました。
高橋院長との出会いから、放射線量のデータをとり続けることが重要と考えた箱崎さんたち除染グループは、高橋院長を代表に据えて、除染活動を社団法人化することにしました。これにより行政や県内外の企業からも応援や情報が得やすくなります。また除染活動で得られる各種データを、近隣の飯舘村や浪江町などの除染に役立てて、将来的には除染のノウハウを南相馬市の財産にして、国内のみならず国外へ発信していこうとも考えています。
9月19日現在で、南相馬市の人口は4万615人。半分以上の市民が戻ってきた南相馬市。
緊急時避難準備区域の解除とともに、定着化の大きな壁ともいえる除染活動のさらなる充実が求められています。箱崎さんたちの活動はこれからが正念場といえるでしょう。

【よみがえれ!俺達の酒】
日本で海に一番近い酒蔵。浪江町請戸で天保年間に創業され、180年の歴史を持つ鈴木酒店。そこで造られる「磐城壽(いわきことぶき)」。漁港があり漁業が盛んな請戸地区では大漁になると、酒が漁師たちに配られました。漁の出来を訪ねるのに「酒になったか」と言われる土地柄。浪江の人達にとって、磐城壽は重要な生活の一部でした。
若き蔵元鈴木大介さんは震災時は酒を瓶に詰めていました。自身にけがはありませんでしたが、自宅は倒壊、酒蔵も大きな被害を受けました。津波警報の発令で急いで避難。酒造りの記録や資料はすべて家に置いたままでした。「すぐに戻れると思った」。しかし原発事故により浪江町は警戒区域に。避難したままで故郷に戻ることが出来なくなりました。
米沢に家族で避難した鈴木さん。その元に会津若松市にある県技術支援センターに、鈴木酒造の酵母が残っているとの知らせが。今年1月に送った、研究用サンプルとして山廃仕込み用酒母が冷凍保存されていたのです。
それから避難先の米沢市から会津若松市の県技術支援センターに通う日々が。 5月、酒母から酵母と乳酸金の選別を始めました。地道な実験を繰り返した結果、磐城壽の味が再現できる酵母が選別されました。
しかし酒を仕込む場所がありません。そんな時、南会津の酒造メーカーが協力を申し出ました。5月28日、酒の仕込みが始まりました。酒米は「夢の香」。浪江と同じ酒米が手に入りました。6月20日、絞り作業。「派手さはないが、じっくり飲める、やさしい味」という磐城壽の味が再現できました。この時は一升瓶で2,000本造られましたが、まだまだ足りません。
「土地の人達の縁を確認できるような酒になってもらいたい」と語る鈴木さん。
新たな酒蔵を山形県で見つけました。福島を離れても「磐城壽」を作り続けたい。
そして、いつか浪江町へ戻りたい。復活の一歩は隣の県からのスタートです。

【響け!復興のハーモニー】
合唱王国として有名な福島県ですが、もう一つ全国に誇れるものが吹奏楽。吹奏楽の甲子園といわれる夏のコンクール、全国の高校1500校の中から全国大会に出場できるのは、わずか29団体ですが、その中で湯本高校は6年連続で全国大会へ出場している強豪校です。
昨年指揮者が交代し新体制で迎える初めての夏のコンクールに向かう矢先、大震災に見舞われました。地震により一カ月練習が出来なくなり、練習場の校舎も被災して使用禁止に。
自宅待機中の部長・草野真菜さんは地震当時の模様を語ります。「いきなり地震が。みんな逃げろ!!と言ってそのまま逃げました。」
その日以来メンバーとは1日も会っていませんでした。
「早く皆で楽器を吹きたい」
4月、3年生の幹部が1カ月ぶりに部室に集合。久々の再会です。指導している橋本先生も加わり練習場所の相談が。4月中旬、初練習の日。場所は学校近くの常磐市民会館。集合時間の1時間前に部員は来ていました。
「待ち切れずに来ちゃいました」
しかし、練習場所はここではありませんでした。市民会館も被災して使用不能に。楽器を置いていただけでした。楽器を積んだトラックが向かった先は・・・。カラオケ店でした。湯本高校吹奏楽部の初練習はカラオケ店からスタート。でも部員達は音楽が出来る喜びで一杯でした。
県大会では、吹奏楽部を支えてきた副顧問の高橋先生との別れの日ともなりましたが、見事東北大会の切符を手にすることが出来ました。
そして岩手県で行われた大会当日。草野部長の母親が心配そうに見守る中、高橋先生も駆けつけての演奏。見事金賞をとり、全国大会へ。
草野部長「本当にこれまで諦めないでやってこれて、良かったと思います。」
湯本高校吹奏楽部は10月23日、東京普門館で全国大会に臨みます。