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放送内容

「野﨑洋光 ~故郷の母に贈る料理~」

料理人、野﨑洋光(61)。2004年アテネ五輪では野﨑の腕にほれ込んだ長嶋茂雄監督のたっての希望で日本代表野球チームの総料理長をつとめた。都内の栄養専門学校卒業後、数々の和食の名店で修業を積み、東京・南麻布「分けとく山」の総料理長となる。素材の良さを生かしながらも伝統的な日本料理に新風を吹き込み、テレビや女性誌等でも活躍。和食の素晴らしさを広めている。
野﨑が今、ありがとうを伝えたい相手は2年前に98歳で亡くなった母・スメだ。大正3年生まれの母は元小学校の教師だった父と家族によく仕え、いつも気丈で微笑んでいる菩薩のような人だったと野﨑は語る。昭和28年、福島県石川郡古殿町に9人兄弟の8番目の四男として生まれた野﨑は祖父母、さらには曾祖母も一緒に暮らす4世代の大家族で育った。母を思い出すとき、いつも台所で大勢の料理を作る母の姿が目に浮かぶ。野﨑家は広い田畑も持っており、野良仕事の合間にあぜ道で母の料理を囲んでいたという。洒落た料理ではないが、普段の料理、四季折々の行事食に手をかけた母だった。野﨑の味の原点には母の存在があった。一番上の姉が病弱だったこともあり、高校卒業後、栄養士になって姉に滋養のある料理を食べさせたいと東京の栄養専門学校に入学。在学中に姉が亡くなり、その夢は叶わなかったが、野﨑は料理人になることを決意する。堅実な性格の父は息子の夢に反対したが、母の言葉が野﨑を支えてくれた。「真面目にやっていれば、良いことがあるから」母はいつもの微笑で野﨑を故郷から送り出してくれた。料理人になってからも。野﨑は母に料理のコツを教わった。蒸したもち米が固くならない方法、漬物や保存食について、母は野﨑にとってよき先生でもあった。今回、故郷・福島で姉たちと母の思い出の料理を囲む。食材は地元で採れた野菜が中心。ぜんまいや、えごまのぼたもち、煮物。母の味を懐かしみ、還暦を過ぎた野﨑はあらためて母を思う。最後に料理人としての原点を作ってくれた母に、故郷の食材で心を込めた一品を作る。