坂東三津五郎がいく 日本の城ミステリー紀行
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「国宝・彦根城」

国宝・彦根城と琵琶湖周辺の城

関が原に勝利した徳川家康は「天下統一」の基盤を固めるため、琵琶湖沿岸の「城」の機能を一括・集中させることを狙い、彦根城を新たに築かせる。そして、そこを徳川四天王のひとり「赤鬼」と恐れられた、側近の井伊直正に任せた。

国宝・彦根城は、平山城でありながら、非常に「戦闘的な城」。遠目に眺めると優雅だが、近づくと、実戦的な備えが至る所に施されている。築城を急いだ為に、各地の城の建材を流用したリサイクル城という工夫もあった。高度な技術が投入された、堅固な軍事施設が顕著なのは内堀の内部。天秤櫓前の高石垣、複雑な通路配置、登り石垣、竪堀が攻め込む敵を封じ込める。
その後、豊臣家は滅亡。徳川の天下になったことで、城造りも、平和で優雅なものへとなっていく。
戦闘性と優しさという2つの顔を持つ彦根城。家康は何を考え彦根城を造り、天下取りへと突き進んでいったのか?