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2017年7月9日
熱中ゲスト
落語家 林家 木久扇
落語家の林家木久扇さんをゲストに招く。
東京・日本橋生まれ。幼い頃から落語を聞いていた。しかし最初に選んだ道は落語家ではなく漫画家…。その意外な過去とは…。1969年に「笑点」レギュラーになり、人気落語家の道を歩み始める。そしてイラストの仕事も手掛けるなどマルチな才能の裏には木久扇さんの仕事へのある思いがあった。
そして今回特別にスタジオで落語の所作を伝授。扇子を使った名人芸にスタジオが…
木久扇さんの落語にかける情熱と人生の楽しみ方を伺う。
日本橋生まれ 高校卒業後に進んだ道は意外なもの…
東京・日本橋生まれ。雑貨問屋を営んでいた両親のもとで育つ。
子供のころから絵を描くことが好きだった木久扇さん、物売りの声や映画館などの立ち並ぶ日本橋界隈の下町情緒あふれる環境が今の自分を作ったと語る。
しかし戦争で家が全焼し暮らしが一変。小学4年生頃から新聞配達などのアルバイトをして家計を助けていた。その体験から子供心に「人生は稼ぐことだ」と思ったという。
そんな木久扇さんの原点とも言える落語との出会いは、三遊亭歌笑の創作落語「豚の夫婦」だった。ラジオで何度も聞いてその話を覚えるまでになっていたのだが、高校卒業後は食品会社に就職する。
戦後の食糧不足を体験したことから「何かあった時には食料のそばにいたい」との思いで就職したというのだが、思いもよらぬ職場環境に早々に嫌気がさしたという。
そんな時、友人から漫画家の画料の高さを聞き、こんどは一転漫画家を目指す。
「かっぱ」のイラストで有名な漫画家、清水昆に師事し、週刊誌に漫画家としてデビューするが、描きながらものまねをする木久扇を見た清水に「ちょっと落語家やってみるか」と言われ、運命に導かれるようにいつの間にか落語家を目指すことになった。
波乱に満ちた落語家人生
1960年三代目桂三木助門下へ入門。その半年後に三木助が病死し、八代目林家正蔵(のちの林家彦六)の門下に移る。
修業時代に体験した彦六師匠のエピソードをもとにした創作落語「彦六伝」が人気に。
スタジオでも彦六師匠のエピソードを物まねを交えて披露した。
そして八代目林家彦六の孫弟子でもある春風亭小朝さんが木久扇さんの人柄を独自の方程式で分析。木久扇さんの意外に?ロマンティストな一面が明らかになった。
落語の食べる所作を伝授 名人芸にスタジオ爆笑
そして落語の基本の一つ、扇子を使った仕草を司会の鴻上と進藤に伝授。蕎麦、饅頭、餅を食べる仕草を披露した木久扇さん。その名人芸にスタジオは大きな笑いに包まれた。
そして1969年以来、48年間レギュラーを務める番組「笑点」については、長年続けてきた人気番組への思いと落語家として「仲間を笑わせたい」という意地があると語った。
2度のがんを乗り越えた 病との向き合い方とは…
木久扇さんは、2000年に胃がんを発症し、胃を三分の二摘出。さらに2014年には喉頭がんを発症。咽頭がんの時には、長年続けていた「笑点」を2カ月休むことになった。放射線治療でがんは消えたが、声が出ない日々が続いたという。その不安な日々をどんな思いで乗り越え、がんと向き合ってきたのだろうか。
落語以外にも一芸を…
現在、イラストの連載を5本抱えている木久扇さん。下絵から色付けまで全ての工程を一人で行っている。絵を描くときは普段はあまり見たことのない真面目な顔が覗く。今回得意の錦絵をスタジオで披露。子供の頃から絵を描くことが好きだった木久扇さんが今も夢中になる絵の魅力を伝える。
そして、お弟子さんへの一言では、一人一人の個性に応じたアドバイスを心がけていることと、何か一つ落語以外に得意な芸を身に着けるように話しているという。それは今の落語界を生きぬくために必要なことだと木久扇さんは話す。
今、熱中していることは「落語アニメ」を作りたいと夢を語った。そこには「上がり框(カマチ)」や「くぐり戸」など今は消えてしまいそうな日本語を残していきたいという思いが込められていた。
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落語家 林家 木久扇
【生年月日】昭和12年10月19日
【出身地】東京都日本橋
昭和31年3月 東京都立中野工業高等学校食品化学科卒業。
昭和35年8月 三代目 桂三木助門下へ入門。芸名 桂木久男で見習い。
昭和36年1月 三木助没後、八代目・林家正蔵門下へと移り、前座となり芸名 林家木久蔵となる。
昭和40年9月 二ツ目昇進。
昭和44年11月 日本テレビ「笑点」のレギュラーメンバーとなる。
平成19年9月 林家木久扇・二代・木久蔵の親子史上初のダブル襲名披露を行う