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2014年5月9日放送
「鎮める×世界遺産 日光の社寺」
東照宮の御祭神は徳川家康。家康の没後に作られた豪華絢爛な建物や彫刻は人々のため息を誘ってきました。でも…なぜ江戸ではなくて日光に東照宮が建てられ、なぜ家康は神として祀られたのか。そこには天文の知識などに基づいた驚くべき計画が隠れていました。
日光の社寺が世界遺産に登録されたのは1999年。登録の対象となったのは家康を祀る日光東照宮。日光二荒山神社。そして日光山輪王寺の二社一寺。合わせて103の歴史的建造物と文化的景観です。世界遺産の周辺には数々の景勝地が点在しています。中禅寺湖は水面の標高1269m日本で最も高い場所にある湖です。湖畔に建つ中禅寺は男体山をはじめとする山々で修験道に励む者たちの拠点だったといいます。ご本尊、千手観音は一人でも多くの民を救おうとする仏さま。手に結ばれた綱に触れると願いが叶うと云われています。
起伏に富んだ日光の地形は幾つもの絶景を作り上げています。落差およそ100mを誇る華厳の滝。スケールの大きさと美しさから日本三大名瀑の1つに数えられています。こちらは、戦場ヶ原を走り中禅寺湖に注ぎ込む龍頭の滝。白くきらめく水のうねりを人は龍のウロコにたとえたと云います。戦場ヶ原は標高1400mの高みに広がる湿原です。豊かな自然の造形の中に整然とした杉並木が作られたのは1620年代半ばのことでした。37キロにも及ぶ世界で最長の並木道です。その向かう先はもちろん日光東照宮。
家康の死後朝廷は生前の行いを尊び東照大権現という名を贈りました。権現とは仏や菩薩などがこの世に現れた仮の姿をさします。高藤さんはかつて東照宮の禰宜を務めていた人。例えば表門を控えた石鳥居へと続く石段のアプローチ。
その幅は鳥居に向かって狭くなっています。遠近法を利用した錯覚で参道からは鳥居が近く見えますが、振り返ると長い道のりを来たように感じられるのです。東照宮は様々な工夫の宝庫です。
重要文化財の表門。この門だけで82もの彫刻が施されています。三神庫は祭りの装束や道具などが収められた倉庫です。上神庫には二頭のゾウ。大切な祭事の道具を守っています。徳川家の家紋、三つ葉アオイが刻まれている御水舎。
東照宮の最も有名な彫刻は神馬を繋ぐ神厩舎に刻まれています。見ざる、言わざる、聞かざるの三猿です。東照宮に残る彫刻5173体から有名なモノをもう1つ。東回廊に刻まれた眠り猫と背後で遊ぶ雀たち。全てに意味がありました。
色彩溢れる日光東照宮の建物の中で白を基調としている唐門。人物をモチーフにした彫刻が施された唐門はこれが重要な建物である証しです。
家康を祀る奥社へは207段の石段が続いていました。一枚石のとても贅沢な作り。家康の墓所にあたる奥社宝塔。収められているのは神柩と呼ばれる柩です。家康は死後1年の後、日光に己を祀れと遺言を残しました。ここ、日光東照宮に込めた徳川幕府安泰の祈り。徐々に家康の壮大な工夫が明らかになってきます。
現在、大修理が進む陽明門。門は真南の方角を向いています。陽が落ちると…陽明門の真上に北極星。地上から見るとあらゆる天体の中心に位置する星です。
北極星は天を治める帝、天帝として崇められました。これが日光に己を祀れと遺言した家康の狙いだと高藤さんは言います。
迫り来る死を予感したとき、家康が墓所と定めた場所は当初日光ではありませんでした。そこにも周到な計画があったと言います。家康が初めに祀られたのは静岡です。久能山東照宮で一周忌を迎えたあと日光に移されています。小高い丘に建つ東照宮の社殿は楼門から拝殿・本殿までが見事に一直線につながります。日光に向かって建てられていた久能山東照宮…これを偶然と言い切れるでしょうか。しかも2つを結ぶ直線上には富士山がそびえています。久能山で神となった家康は不死の山とも言われた富士山を越え、日光の地で国の守護神となった…それが高藤さんの考えです。日光に向いた久能山東照宮の社殿の中でただ1つ真西に向いて建つのは奥社の神廟でした。家康の墓です。実はこれも遺言通り。家康ゆかりの地は三本のラインで関連づけられます。生まれた場所岡崎城と葬られた場所、久能山。そして富士山を越えて不死の神となった家康は日光へ。その日光で背後に北極星を頂き真南の江戸を治める。
今年4月17日家康の命日にあたって久能山東照宮では盛大な御例祭が営まれました。東からこの国を照らす神…東照大権現の願いは日光東照宮に密やかに生き続けています。
日光二荒山神社。日光連山を神域として山岳信仰の中核をなす神社です。境内にはご神木の三本杉、樹齢700年と云われる巨木が天を指していました。こちらは樹齢千年を超すコウヤマキです。二荒山神社は二荒山と呼ばれた山を御神体としました。このフタラを音読みにすると「ニコウ」。この響きに日の光という漢字をあてたのが地名の起源と言われています。
日本古来の自然信仰と、奈良時代、新たに伝来した仏教。日本人はその2つをしなやかに合体させて来ました。神仏習合です。
二荒山神社の弥生祭。春の到来に感謝する祭りは無形民俗文化財に指定されています。豊かな恵みを与えてくれる自然に感謝し人間が楽しく暮らしているコトを神様に伝える。土地の人々にとって年に一度の晴れ舞台です。祭りの行列は二荒山神社の別院へ。そこで古式にのっとった神事が執り行われます。
55の建物が並び建つ、日光東照宮。造営はわずか1年5ヶ月という短期間でした。その代わり、のべにして600万人が投入されたとも言われています。大事業を推し進めたのは徳川三代将軍、家光です。東照宮を含む二荒山神社と輪王寺の二社一寺には絶えまない手入れが続けられてきました。
2013年に始まった平成の大修理。現在は国宝・陽明門の修理が行われています。
特別にその現場を見せて貰うことが出来ました。平成の大修理。陽明門と本殿、拝殿などの入念な手入れは2019年の完了を目指しています。陽明門では漆の塗り直しが進められていました。漆塗りの技術主任、佐藤さんは40年以上日光の社寺を守ってきました。二社一寺を合わせれば建物の数は103棟にも。一度に全てを修理するのは不可能なので常にどこかで作業が行われることになります。その結果江戸時代の職人の技術が今日までしっかりと受け継がれてきたのです。陽明門を飾る彫刻は504。その多くが取り外されて修理されます。一旦外された彫刻は職人が色や形を書き写します。まず色を落として金箔を貼りその上から彩色を施す。作業の工程も顔料の岩絵の具も江戸時代から変わっていないそうです。彩色の技術主任、澤田さん。何も足さず、何も引かない。最初の姿形や色彩をそのまま後世に伝えることが職人の使命。作業は黙々と続けられています。
自然を敬い、同時に自然を畏れてきた先人達。彼らが切り拓いた地を選び、燦然と輝こうとした徳川家康という神。日光には私たちの国の歴史が凝縮されているのかも知れません。「日光を見ずして結構と言うなかれ」。深閑とした森に佇む神社や寺は今も私たちを引き寄せる強い磁力を放ち続けています。
日光東照宮
〒321-1431 |
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二荒山神社
〒321-1431 |
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日光山 輪王寺
〒321-1494 |
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久能山東照宮
〒422-8011 |