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2013年5月31日・6月14日放送
「辿る×白洲正子」
骨董や着物の目利きとして知られる、白洲正子。
彼女が亡くなってからもう15年が経とうとしています。
正子は、骨董から着物、文学、芸能に至るまで日本の様々な文化について多くの本を書き残しています。
終の住処となった茅葺き屋根の家。名前を武相荘といいます。
現在は、白洲夫妻の暮らしが垣間見られる場所として一般に公開されています。
展示される器や調度はすべて実際に使っていたものばかりです。敷いてある板も、お膳代わりに。たとえ高価なものであっても、実際に暮らしの中で使ってこそ、その良さが分かる。それが持論でした。
囲炉裏の部屋には白洲さんが使った器が置かれています。
白洲さんはどうしたら骨董がわかるかという質問にこう答えています。
「五、六十年もやって、やっと骨董にも魂があるってことを知ったの。その魂が私の魂と出会って、火花を散らす。といっても、ただどきどきするだけよ。人間でいえばひと目惚れっていう奴かな。そして、どきどきさせるものだけが美しい。」
そんな白洲さんをどきどきさせたのは、名品ばかりではありません。
農具として使われた箕や、漆桶など、生活の中の道具に美しさを見いだしました。
信楽の水指も、もともとご飯を入れる飯つぎでしたが、後の時代に蓋をつけて水指に。そして白洲さんも・・・
「水指として使わなくてはいけないということもないし、花をいけたりしてた。こだわらなかった。」
使い方はその時の持ち主の思うように…。
そして正子はさまざまな器に花を入れて楽しみました。
武相荘の玄関で、季節の花が生けられている大壺は、難破船から上がった海上がりで、もとは貝殻がたくさんついていたとか。美しいものを見極めるには、こだわりのない目でものごとを見ること。武相荘の目はそんなことを教えてくれます。
武相荘でなんといっても素敵なのは「庭」。
一年中、草花の絶えない場所です。
竹林を真ん中に広がる庭には、一部植えているものもありますが、多くは自然に生えた野の花が季節ごとに咲きます。
正子は常々、「器がいける花を教えてくれる」と語っていました。庭で花を摘んではいけ、器を選び花を生ける事は彼女の生きる力ともなっていたのです。
そんな正子が唯一認めた花人が川瀬敏郞さん。
若き頃の川瀬さんのいけばなを見て、それまでつまらないと思っていたいけばなの世界に光を見つけた正子。以来、この武相荘にも招き、庭の草花を共にいけました。
今回川瀬さんが、武相荘の庭の花を白洲さんに向けていけてくださいました。
川瀬さんが生けた花は、そこに白洲正子がいる空間を再現してくれました。
短い花の命をいただいて、誰かのために捧げる。そしてそこにその人が見えて来る。川瀬さんが白洲さんから学んだ花はそういうものでした。
独自の視点は、ここ武相荘での暮らしだけでなく、日本各地を辿ることで培ったものです。
50年ほど前から、取材をきっかけに、西国の小さな村々を辿り始めた正子。スポットライトの当たらない場所に日本の歴史を発見し、「かくれ里」など代表作を綴りました。
旅に出たのは高度成長まっただ中、東京オリンピックの年です。
日本中が観光ブームに沸き新幹線も開業。そんな時、あえて賑わいを尻目に足しげく向かったのが静かな近江の地でした。
正子は近江を「京都や奈良の舞台裏」と著書に書いています。
京都や奈良の都をつくるためのお膳立てがなされたのがこの地で、いわば近江には有史日本のルーツがあるということを、正子はかくれ里を歩くことで発見するのです。
正子が日本の楽屋裏を感じた寺。琵琶湖から流れる瀬田川のほとり西国十三番札所「石山寺」。紫式部が源氏物語の構想を得たとされ、桃山時代、淀殿の寄進によって整備された美しいお寺。石山寺の名の通り、石とも深い関係があり、実は、境内全体が巨大な石の上に建っています。
近江の石に興味をもった正子はさらに近江の山奥深く入って行きます。
東近江市、かつて蒲生野といわれた場所に正子が日本一美しい日本といった石の三重塔があります。阿育王山・石塔寺。聖徳太子が開いたと言われる古い寺です。無数の五輪塔に囲まれてそびえる三重塔。奈良時代前期に作られた日本最古のもので、石塔としてはもっとも日本で大きなものです。
「端正な白鳳の塔を見て、私は初めて石の美しさを知った」。
正子はそう書いています。周りを取り囲む五輪塔や石仏は隣の敷地にも広がり、その数、何万にも及びます。
鎌倉時代以来、多くの人に奉納し続けられたものがここに集められています。
「近江に、京都や奈良に匹敵する美術品は無いと書いたが、石像美術だけは別である」
こう言った正子が「聞きしに勝る傑作」と評した磨崖仏があります。
それは石山寺の北東、金勝山という山の中にありました。まるで修行のような道無き道を過ぎると木々の間に磨崖仏はたたずんでいました。
「磨崖仏は聞きしに勝る傑作であった。奈良時代か平安時代か知らないが、こんなに迫力のある石仏は見たことがない。それに環境がいい。人里離れたしじまの中に、山全体を台座とし、その上にどっしり居座った感じである」。
ここに辿り着くまでの道のりがこの磨崖仏をより美しく感じさせます。
正子が後半生で辿った西国のかくれ里。自らの足で各地を辿りながら、日本とは何かを考えました。
武相荘
東京都町田市能ヶ谷7丁目3番2号 |
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石山寺
滋賀県大津市石山寺1-1-1 |
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石塔寺
滋賀県東近江市石塔町860 |
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金勝寺
滋賀県栗東市荒張1394 |
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白洲正子さんを感動させた花人 川瀬敏郎さん |
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『川瀬敏郎 一日一花』紹介 |